紅葉狩り
その6 結婚
戦後の数年は若い男子が日本には少なかった。
戦争にとられた青年たちを思うと胸が悼むと、しのぶの父は教え子も戦地に送り
そのままかえらぬ人になったことを哀しく思い詰めていた。
しのぶの父盾夫は大正末期に 國學院で国語の教員免許と
神職の資格を取得し、はじめは川崎で市立中学校の国語の教師を勤めていた。
登山部があり、男子生徒と近くの丹沢から始まり東京都下の
青梅方面の山歩きをしていた。
生徒たちは担任としても国語科の教師としても盾夫を尊敬し 慕っていた。
高知県に戻ってからも県立の高校に勤務して多くの教え子を
輩出したが、その中で何人も戦地に送らねばならず、
別れの挨拶に海軍の制服で訪ねてきた者もあった。
しのぶは海軍の制服に身を包み敬礼する青年に
密かに憧れたりしたものだった。
そんな戦時下の青春時代を過ごした。
しかも終戦後戦死した教え子の実家を尋ね弔いたいと言っていた
父盾夫は終戦の翌年の寒い2月に病で急逝してしまったのだった。
新制女学校2年だったしのぶはあまりのあっけない父との
別れに涙も流せないほどだった。
そんな父を思いながら父の義妹が紹介してきた下宿人の孝之を
結婚の相手としても推薦してくるのだった。
しのぶの叔母は孝之と同じ小学校に勤務していた。
積極的な女子で孝之にすっかり惚れ込んでいたのだ。
神社の跡取りは既にいるが、長女であるしのぶもしっかりとして
この町に根付く人をという目論見があった。
だがその孝之は結婚後じきに東京を目指していたのだった。
つづく
by akageno-ann | 2024-11-13 17:10 | エッセ- | Trackback