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春雷




2025年の春の訪れはいつもと大分違っていた
彼岸の入りに春の雪に覆われ 朝から春雷が
静かに鳴り響いていた。



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30年以上前に4月のはじめに大雪が降ったことが
あるが、そのときを思い出すほど
あっという間の3月の雪景色

ただ幸いにして午後にはすっかり
融けてくれました。174.png




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最近また地震も多く
自然現象がごちゃ混ぜになって
世界を脅かすことがある

心して暮らしていきたい



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イギリスの諺に 3月のはじめはライオンのように
激しい気候でも終わりの頃はヒツジのように穏やかになる

と言うのがあるらしい

そうであってほしいと願いたくなるこの寒暖差に
治りかけの風邪の体調が今ひとつすっきりしません

年齢も感じます


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小説「仁淀川に帰す」
第六章 その8です





その8


 亜実の教員生活は赴任した小学校が文部省の社会科研究推進校で

大きな発表を控えていた

亜実は良くわからないままにただ若さとひたむきさで

ついて行っているという状況だった。


亜実の5年生は伝統工業についての単元を担当することになり

研究主任からの薦めで故郷高知の土佐和紙について

子どもたちに提示するように言われた


言われるがままにというのも後になって考えると

それもまた大きな経験となった。


研究主任は亜実の父と同年配で経歴がかわっていた。

亜実と一緒に新任扱いでその学校に赴任されていたのだが、

前年までは東宮御所の侍従だったという。


つまり時の皇太子の侍従であった


スポーツ万能で言葉遣いの丁寧さは飛び抜けていて、

同僚に煙たがられているような面もあったが、亜実にとっては

実に学ぶことの多い師であった。


時は昭和であったからそのころ皇太子の長男は浩宮様だった。

その方の勉強もよくみたそうで、社会に大変興味をもたれた

ということを密かに喜びとされていた。


週に何度か宿直もあったそうでその夜によく宮様が

社会科の学習についての質問をされたそうだ。


その方の独特な教育方針は5学年全体に大きな影響を与えていて、

礼儀作法など新米教師の亜実も実に大きな学習をすることになった。


もちろん教員仲間にはその特殊な考え方を疎んじる様子もあったが

同学年で教えを受けている亜実はまっしぐらにその研究態勢についていっていた。


そのことが果たして良かったのかどうかはそのときはわからない。

しかし一つの信念の中で学んでいることは確かだった。


国語専科だった亜実にとっては未知の社会科という分野に

大きく興味が開かれて行ったのだ。


その研究材料として弟正之が高知県伊野町の和紙文化について

宮司の妻である叔母に付き添われて亜実の代わりにたくさんの写真を

撮ってきてくれたことに亜実はずっと感謝の念をいだいていた。



                      つづく




by akageno-ann | 2025-03-20 11:17 | エッセ- | Trackback