昭和はもう昔なの??




昭和33年頃の映画 「張り込み」(松本清張原作)
二人の刑事が東京から佐賀まで列車で移動して
犯人を張り込みにより逮捕するという1週間ほどの
期間のドラマ セミドキュメントなのだそう
昭和のその頃 刑事でも携帯電話は持っていないし
長距離を座席も取れないまま現地に向かい
宿では不審がられながら1週間張り込んで
容疑者を捉える
その追跡もスマホがないから実に不安で
大変・・・
昭和33年は3歳の私を連れて母が
上京した頃
父は先に東京都の小学校教諭となって
三人の住む家をみつけて呼び寄せたのでした
あの頃の列車はもちろん汽車で、
エアコンもない 固い座席
子ども心に不安で列車内で泣いた私を
連結部に抱いて連れて行ってくれらしい
ちょろちょろしていた私はドアに指を
挟んで大泣きしたそうで、その親指の変形は
少し残ったのでその逸話は何度も聞かされました
土佐から東京へは 土讃線 宇高連絡線 そして東海道線への
乗り換えになるのですから まだ学生だった叔父が付き添って
くれてやっと上京したのですね。
今更この時代の妙に簡便さと比較して感動するのです。
電報もよく使っていました
大きな荷物は(日本国有鉄道)チッキというものでした
野村芳太郎監督のとても細やかな当時の様子の描写に
何か切ない思いをしながら両親の苦労を思います。
by akageno-ann | 2026-06-16 10:30 | エッセ- | Trackback | Comments(4)
小学校の修学旅行で
宇高連絡船に乗って四国へ渡りました。
屋島や金比羅さん、栗林公園や丸亀城に行った記憶があります。
チッキ❗️ ありましたねぇ、なつかしい。
宇高連絡船に乗って四国へ渡りました。
屋島や金比羅さん、栗林公園や丸亀城に行った記憶があります。
チッキ❗️ ありましたねぇ、なつかしい。
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eprcさん
そちらも揺れたのね
埼玉は比較的地盤固いけど
珍しく揺れてあのあとどうなるかな?と
高齢の友人たちにメールやらしてました
皆無事・・しかし何が起るかわからない、と
仰る方も
やはり宇高連絡船乗ったことあるのですね
あの甲板の讃岐うどんが大好きでした
修学旅行ではダメね うどんは
楽しかったなあ汽車の旅も 土讃線ごめん駅では
父がよく駅そば食べてました。
懐かしくなっちゃった
そちらも揺れたのね
埼玉は比較的地盤固いけど
珍しく揺れてあのあとどうなるかな?と
高齢の友人たちにメールやらしてました
皆無事・・しかし何が起るかわからない、と
仰る方も
やはり宇高連絡船乗ったことあるのですね
あの甲板の讃岐うどんが大好きでした
修学旅行ではダメね うどんは
楽しかったなあ汽車の旅も 土讃線ごめん駅では
父がよく駅そば食べてました。
懐かしくなっちゃった
季節の花をありがとうございます。
梅雨でもうれしくなりますね。
お見事バグースです。
地震ありましたね、いつ大震災が起きるか
わかりません。
アラック、寝ていて全く気が付きませんでした。
東日本の時は中学校で仕事をしていました。
集団下校をさせましたが、家には帰れませんでした。
実家に泊まりました。
梅雨でもうれしくなりますね。
お見事バグースです。
地震ありましたね、いつ大震災が起きるか
わかりません。
アラック、寝ていて全く気が付きませんでした。
東日本の時は中学校で仕事をしていました。
集団下校をさせましたが、家には帰れませんでした。
実家に泊まりました。



