アンのように生きる インドにて 思い出 その1
怜子(さとこ)が亡くなってから、17年が経っていた。
美沙は東京近郊のベッドタウンに住んでもう20年以上をすごしていた。
本屋が家の付近にないので駅前までバスで出かけて新しい形式の古本屋で
時間をつぶすことがあた。
その古本屋で偶然、『アンの夢の家』の文庫を手にして、美沙は思わず購入した。
315円だった。
どこかの家から、不必要とされたその本は、古びていなくて、もしかしたらあまり読まれなかったのかもしれない、という美沙の思いがそうさせたのだ。
久しぶりに小さな文字の羅列に懐かしい名前や言葉を見出して、美沙はせつなく思い出を手繰り寄せていた。
怜子はカナダのモンゴメリーの小説『赤毛のアン』が大好きで、結婚してから二度目に建てた家は写真集で見たという、カナダのプリンスエドワード島の『アンの家』を模して屋根は緑色の瓦で和風だが可愛い平屋建てだったのだ。
怜子と美沙はそのカナダとは遠く離れたインドのニューデリーで出会っていた。
たった三年の短い付き合いの中で、二人の気持ちを引き寄せるのに大きな役割を果たしたもの、それが『赤毛のアン』シリーズの存在だった。
アンは小学生の女子の間に人気のある、ある孤児が男の子に間違えられて二人の老いた兄妹の家にもらわれて、新しい人生を切り拓いていく物語の主人公だった。
誰もが知っているようでいて、10冊以上にも及ぶこの本のシリーズを読み耽ったという共通点は初対面の二人の距離をぐっと引き寄せるのに最高のものだったのだ。
それは、出会って1週間のうちに互いの家を訪問しあうという、デリーでの日本人同士の付き合い方にのっとって、始めに美沙とその夫が、先に赴任していた日本人学校の先輩夫妻の怜子の家を訪問し、翌日のお茶の時間には怜子が美沙を訪問するという具合だった。
怜子はすでにこのとき、病に冒された状態で他の家族からはその体を気遣って訪問を遠慮されていたのだ。
まだ、デリーに着任して1週間の美沙の家は殺風景で、ソファの三点セットとダイニングテーブルが広いセッティングルームにぽつんとおかれているだけであった。
そして作り付けの小さな本棚に置かれた、懐かしい日本の書籍が少しだけ異彩を放っていた。
その中の1冊がこの『赤毛のアン』の日本語訳の本であり、その隣には少し大きめのその原書だった。
「いいかしら?」と断って、怜子はその洋書を手にして、
「アンシリーズではどれが好きかしら?」 聞くと、
「私はやはり『アンの夢の家』です。」と 即座に美沙は答えた。
怜子はそれに微笑みながら、
「私は最後の『アンの娘リラ』かしらね」
美沙は、
「あぁ、あれはまた別の意味で気に入っています。」
そう応えた。
「別の意味?」
「はい、私は子供がいないものですから、アンの子沢山な様子がうらやましいのです。」
そういう美沙の切なそうな言葉はこのとき、怜子の心に深く届いた。
「私はね、子どもはもう諦めたのよ。そういう思いに至るまでの気持ちの葛藤は、もう今さらあまり語りたくないけど、貴方とは少し話しておきたい気がするわ。」
美沙は少しひるんでいた。単刀直入に話してしまった自分はもしかしたら怜子にとって、とても失礼な発言をしてしまったのかもしれないと、はっとしたのだ。
「私、貴方と仲良しになれそうよ。デリーは人間関係は想像以上に大変なことがあるけど、よかったらなんでも相談してくださいね。」
その怜子のさりげない言葉は、デリーに突然送り込まれたばかりの美沙にとっては大きな支えになっていったのだ。
美沙は、その言葉と、そこにいる怜子を強く自分の分身のように感じて、そのまま打ち解けていった。出会って、3日目のことだった。
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by akageno-ann | 2007-11-30 22:49 | 小説