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出発 その1

その年の春は肌寒い日が続き、時々春の雪に見舞われるような気候だった。

赴任する本人たちは2月に筑波の研修センターで1週間の研修が行われ、家族は1日だけ
東京に集められて、簡単な指導があり、あとは各自派遣先に応じて調べよ、というようなものだった。

例えば、オーストラリアとインドとではそんな簡単なレクチャーで大丈夫な国と
全くそうでない国、という分類になる。

片山翔一郎はそれでもどこか陽気な性格を持っているから、同僚を

「インドで私も考えてきます」など、作家椎名誠氏の著書をもじって笑わせたりする余裕も出てきたが、妻の美沙の方はあちらでの日常生活について現地に住んでいる人々や外務省の知人の知人を頼って直接伺ったり、インターネットの普及していない時代だったのでひたすら苦労していた。

そして、どれをとってみても明るいニュースはなく、「なんでもありますが、粗悪品です。」という言葉に集約される現地の品物や食べ物についての応えにも気持ちが塞がることがあった。

一緒に赴任する千葉の平田よう子とは、偶然に大学時代の友人に共通の者がいて、思いがけず意気投合した。
出発までにも一度家族同士で会って、話し合ったり、荷物の運送のことで電話を掛け合ったりと、出発までにずい分と親しくなれたことが幸いのようだった。

よう子には幼い女の子がいて、明子(めいこ)といった。まだ母親の胸に抱かれていることが落ちつくような明子の様子をみて、日本の子供たちがたくさん向こうでも待っているのだから・・と互いに励ましあった。

荷物はありとあらゆるものを揃えることになった。

なんでもあるが、日本のものが最高である、というアドヴァイスに日常の衣類
電気製品、家具、日本食品、文具や楽器まで、全て中古品を探したり、家にあるものの多くを船便で2ヶ月かかることを覚悟して運送会社に頼んでいた。

出発は4月1日、最終荷物は3月の第3週までには出さねばならなかった。

家の片付けは美沙の方は母信子がそのまま住んでいくのだから比較的楽であったが、結婚して数年が経っていると荷物も増えていて、仕事をしながら休日や夜半に荷造りと片付けをし、疲れているはずなのに、気が張っていて、美沙は元気であった。

赴任地が決まったときのショックを思い切り受けたせいか、立ち直った時には大きな覚悟ができていた。

そして退職する学校の整理も必要で一仕事、1時間も無駄にできない、恐ろしいような時間との戦いがあった。30代前半の一番エネルギッシュな時代だったことがこの局面を乗り切れたのだと感じていたが、実は次第にこの家を出て、初めて夫婦二人の暮らしをすることができるという期待もあったのだ。

結婚後すぐに同居した美沙の日々は、姑信子への言い様のない気兼ねの連続であった。
どんなに優しげな人であっても自分の家に入り込む若い嫁をそのままに受け止めることはできないのだ。

台所は始めから信子任せにしていたのではない。
料理学校にも通って、料理も食器集めも好きだった美沙は新婚の食卓をどのようにしようか?と楽しみにしていたのだ。

しかし、最初の朝に、美沙がオムレツを作ったことから事態は一転・・夫が

「朝はね、ハムトーストと目玉焼き、か 納豆、生卵にみそ汁、って決まってるんだ。」

と強い口調で言った。

翌朝から母信子は
「我侭な息子でご免なさいね、」と嬉しそうに言いながら、台所にそれまでのように立つことになったのだ。

ここで喧嘩をするわけにもいかず、嫁に入るということはこういうことなのだ、と思い知らされながら、夕食も任せて、その代わり、仕事に打ち込める日々を美沙は送ってしまっていた。

だから、この度のインド行きはここでもう一度二人の新婚時代を過ごそうと考えていたのだ。

荷造りの時に嫁ぐ日の荷物に入っていた、気に入りの食器たち・・独身時代に池袋や銀座のショップで愉しんで買い揃えていた器たち・・中でもたち吉の珍しい手描きの小皿を愛おしく眺めて、輸送中割れないように、エアキャップをたくさん詰めて蓋をした。

姑に「新しいものはもったいないから、しまっておきなさい、」と言われて食器棚に並べてもらえなかったものたちだった。


荷造りに勤しむ美沙を見て、信子もまた深い感慨に浸っていた。

一人息子をこの嫁に託してインドという過酷な地で三年の間離れる、しかも嫁は仕事をやめ、気の毒なほど覚悟してついていく、息子の我侭に。

「もう少し、可愛がっておくべきであった、」とまだ若い姑で知らず競うように暮らしてしまった日々を省みるのだった。

夥しい量の荷物を運送会社の海外引越し便に託し、婚礼家具も入れたものだから、その日トラックは1トン車が来て、回りを木枠で囲んで運び出された。

運送会社の課長は、
「この派遣は運賃は持ってくれるのですか?先日オーストラリアの方へいらっしゃる先生は本当に小さなお荷物でした・・。」というので、

美沙は

「一律50万円が出るようですが・・・」

と、答えると・・・彼はそれ以上何も言わなかった。

美沙たちは少し向こうでゆったり暮らしたかったせいもあるが、送り出した荷物に400万円ほどを費やした。それが正しいかどうかはまだこの時点ではわからなかったけれど。


つづく

by akageno-ann | 2007-12-07 07:45 | 小説 | Comments(3)

Commented by ロッキン at 2007-12-07 08:37 x
海外のお引越し、しかも、未知なる国へのお引越しとなると、色々と構えてしまいますよね~ でも、全て万膳にと思うのが常。美沙さんたちの決断は正しかったんじゃないかしら・・・?
と、今後の内容でそれがどうだったのか、明らかにされるんですよね! ますます読むのが楽しみです!!
Commented by まーすぃ at 2007-12-07 09:49 x
どんな生活が待っているのか期待と不安が入り混じった引越し…。

でも…私もおそらく国によってはそこまで用意周到にしていたと思います…。インターネットが普及していない時代に…ほんとに、開拓者ですね…美沙さんご夫婦は!
Commented by akageno-ann at 2007-12-07 11:18
応援ありがとうございます。書いてみて・・いろいろあとで悩むのも日々の暮らしの中ではアクセントになってます。
ロッキンさん、まーすぃさんの様々なご意見もとても参考にさせていただいてます。
少し長くなるし、ゆっくりの展開ですが・・どうか私同様に長いお付き合いをお願いします・・

変なところは是非遠慮なく教えてください。
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