出発 その2
平田よう子は
「どこへでも着いていくわ、」とばかりに張り切っていたが、
いざインドの状況を知れば知るほど、幼い明子を伴って渡印するということに不安材料がいくつも重なり、しかも勤務校の同僚たちに
「もったいないなあ・・よう子さん、辞めていくの?そんなところに」と言われたりすると、
「私はこちらに残ろうかなあ」などという弱い気持ちまで湧いてくるのだった。
よう子の実家の方でも、幼い孫の明子との別れが辛くて、そしてそれ以上にインドという
衛生環境の悪いといわれる場所に連れて行って、病気になったらどうする・・という思いが強く、優しい夫の久雄には悪いが、よう子の決断が鈍っているのを感じて、引き止めてしまいそうになる。
だが、よう子も美沙と何度か電話で話しているうちに、彼女が同じ教師としてその職を辞めてしっかり夫についていこうとしているのだから、こちらもそれに負けてはいられない、という思いもあった。
結局、夫の久雄の献身的な準備と家族への愛情が勝って、よう子はインド行きを結局受け入れた。
小柄で、日本の小さいサイズの洋服しか合わないよう子は子供の服と共に自分の持っていく服を中心に買い物に勤しんだ。
実家の母親は娘と孫のために、日本の食品をできるだけ持たせてやろうと、奔走していた。
初老の母は年の功で、こんにゃくの素や、手作り豆腐セット、納豆菌など、珍しいものを集めてきた。
孫の明子が納豆が好きな子供なので、大豆があるというデリーでも納豆菌さえあれば、作って食べさせてやれると考えたのだ。
仕事で忙しい娘、よう子の代わりに一生懸命インドの情報を集めて準備したのだ。
米は、真空パックの5キロ入りの袋を10袋、赤飯はソーラー米とかいう新しい形の即席の米をさがし、味噌も信州の味噌やから質の良いもので長持ちしそうなものを取り寄せた。
醤油にいたっては缶入りの長持ちしそうな高級品を20缶、よう子は
「日本料理屋ができるわね。」
と、揶揄したほどだ。しかし、
「トラヤの羊羹は赤道を越えても腐らないそうよ・・」などまことしやかに話す母を見てよう子は泪がこぼれそうになった。
久雄は、よう子の母の孫を思う気持ちに申し訳なさでいっぱいであった。
一日が48時間あるような長さで過ぎていく、そのくらい分刻みで仕事をこなした2ヶ月、
忘れ物はなるべくしたくない、何しろ送料が高い場所であったし、この荷物とて無事に届くという確証はないのだ。
『インドの環境を深く考えすぎるのはよそう、』
『日本人学校へ通う子供たちも100人に近い人数だと聞いている。
皆元気で過ごしているのだ、明子もきっとそこで成長してくれるだろう。
私はこの母子をしっかりと守ってやる。』
そう、決意を新たにする久雄だった。
4月1日、成田空港には箱崎から入った。
久雄にとっては初めての海外渡航だった。
片山夫妻を始め、この日はデリー行きの山下一家、そして途中のバンコクまではスリランカに派遣される教員たちがいた。
それぞれに見送りの人々があって、しばし和やかに談笑している。
久雄の妻よう子は白いワンピースを着て、お洒落に構えながら、表情は暗い。
いよいよしばしの別れを実家の両親と惜しんでいるのだ。
片山家では、明るい美沙の声がしていたが、最後に
「おかあさま、お元気で」と、いう姑信子に手を差し延べながらの声はさすがに
泪声になっていた。
「行ってらっしゃ~~い」
という、様々なトーンの声を背に受けて、ガラス越しの見送りの人々に大きく手を振って、インド方面に渡航する一団は出国ゲートに向かった。
ベルトコンベアーのような歩く歩道に乗った美沙は、ほんのさっきまでの哀しい別れの心が、少しずつふっきられているのを感じていた。
「行ってきます」
これは 新しい人生のスタートラインにたった美沙自身にむけて発した言葉だった。
つづく
by akageno-ann | 2007-12-08 08:30 | 小説 | Comments(4)

よう子さんのお母様・・・子を想う親の代表ですよね・・・
よう子さんの気持ち、よう子さんのお母様、そして、ご主人の久雄さんのお気持ち、手にとるように、文章から伝わってきます。
いざ、新しい人生のスタートに、美沙さんとよう子さん、どう歩んでいくか、また楽しみです!
よう子さんの気持ち、よう子さんのお母様、そして、ご主人の久雄さんのお気持ち、手にとるように、文章から伝わってきます。
いざ、新しい人生のスタートに、美沙さんとよう子さん、どう歩んでいくか、また楽しみです!
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少ない情報のなか、インド生活に備えて…食料が着々と集められていったのですね…感心しました!
こんなときサポートして下さるお母様、心強いですね♪
夫と共に未知なる世界に飛び込んでいけるのは若さも手伝っていたのかもしれませんね!
期待に胸が高鳴るのが感じられます!
こんなときサポートして下さるお母様、心強いですね♪
夫と共に未知なる世界に飛び込んでいけるのは若さも手伝っていたのかもしれませんね!
期待に胸が高鳴るのが感じられます!