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デリーへの道 その1

一口に海外派遣といっても、それは国によって全く印象も心構えも異なるのはあたりまえだが、単に東南アジアというのと、インドというのでも、またその感触は全く違ったものになる。

美沙のインド行きが決まってから、職場の先輩、同僚、後輩ともに様々な反応を示した。
「え?片山先生・・・インド。あのバナナの皮にカレー載せて食うとこでしょう?」

美術の先輩教師だった。

「マラリヤの蚊がいるんじゃないの?蚊に刺されたら大変じゃないの?」

「ええ、なんだか予防薬というのがあるそうよ。」

「ああ、そう、うちの犬も5月から毎年飲んでるわ。」

「それはヒラリヤでしょう・・心臓がやられる・・」

仲良しの同僚の女性教師とこんなやり取りもした。


生徒の方は、美沙のインド行きを聞きつけると
「片山先生、インド行くってほんと?コブラ使いとかみるの?」

「先生、あっちでも学校の先生やるの?インド人教えるの?」

「海外青年協力隊に入ったの?もう帰ってこないんですか?」

と、支離滅裂な質問を投げかけてくる。

しかし無理もない、大人だって、いやこれから間もなく渡印しようとしている美沙自身
でさえ、赴任先のインドを殆ど知らないのだから。

美沙は大人達のほうの、単なる軽い好奇心は捨ておいて、前途洋々の好奇心旺盛の子供たちにはきちんと話をしておこうと、ホームルームの時間を使って自分の知っていること、考えていることを話し始めた。

「私は、この3月で中学校を退職し、主人が今度、インドのニューデリーにある日本人学校に赴任することになったので、一緒に現地に行き、暮らします。
今のところ私の仕事は決まっていませんが、きっと何か役に立つことがあるように思います。

皆の卒業まで一緒にいられなくて残念だけれど、私も新しい場所で新しい気持ちで頑張るので、皆にもこれから自分の人生をどう切り拓いていくか、考えながら進んでほしいと思っています。」

突然、一番前の席に座っていた女生徒が泣き出した。
「先生なんで、やめるの?」

「えぇ、私も本当は昨年の今は全くこのような事態は想像していませんでした。
でも主人と相談して、(本当は主人が勝手に決めたことだったが・・ここは夫をたてておくことにした)新しい挑戦をすることにし、主人が試験を受けました。

私が受けたんだったら、辞めないでまたここに戻って教師になれるんだけど、二人で受けちゃったら、場所も違うしね・・」とここはみんなで笑った。

『私が受けたら女だったから、もう少し安心な国だったろうか?』
など邪な思いも過ぎったが、それも笑って心にしまっていた。

「この制度は公立や、私立の、小中学校の教員に海外で暮らす日本人の子供たちの教育をなるべく日本と同じように与えられるように、考えられたものなの。
もちろん日本人学校の無い国もあります。だから日本人学校のあるインドは、日本の企業や商社、また国同士の交渉をする外務省やそのほかの省庁の人たちが家族と共に現地に住み、その子供たちが学校で勉強しているわけです。
皆も社会でいろいろな国の勉強をしているでしょうけど、インドのことはどれくらい知っているの?」
と、問いかけてみた。

子供たちは、それぞれにインドに対する思いをめぐらしてみているようだ。

「先生、やはりインドはカレーを食べるんでしょうか?」

「インドは英語なの?」

「インドは暑いんですか?」

次々に、子供たちは答えとも質問とも違う、自分たちのうる覚えの事柄を述べ始めた。

「そうね、実は私も皆と同じくらいの知識よ。だからインドに決まったときは、どんな準備をしたらいいのか、戸惑いました。そして調べてみると、日本とはずい分違うようなのです。

先ず、食事、私は皆も知っているとおりの食いしん坊でしょう、何をおもに食べるのかはとても大事なことです。」

子供たちはとてもいい目をして、真剣に聞いていた。

「やっぱり、三食カレーらしいのよ。でもね、日本の人々は工夫して日本食を食べているようよ。だから私もお米、味噌、醤油、いっぱい持っていきます。」

クラスは和やかな笑いに満ちた。

「そして、言葉はヒンドゥ語なんです。
メーラ、ナーム ミサ カタヤマ へーイ」

勘の良い生徒が 笑いながら
「マイ ネーム イズ~のことでしょ?」と口を挟んでくれた。

「そうそう、似てるわね。でもちょっと文法が日本語的かもね。
へーイが 日本語のデスに当たるようだわ。」

「先生、すごい、もうしゃべれるんだ。へーイ・・って可笑しいね」

「あはは、これだけよ。でもね、幸いなことにニューデリーの第二外国語は
英語なの。昔イギリスの植民地だったこと、習ったでしょう。」

「なんだ、そうか。でも英語はしゃべれるの? 先生!!」

「鋭いねえ、君たちは・・・だめよ、だから中学校の英語の教科書持っていくわよ。日常会話は今の あなたたちの英語力だって、しゃべろうと知る気持ちで通じるのではないかしらね。」

子供たちのまだまだ純粋な気持ちとこうして触れ合っていられる時間が
この時の美沙には何物にも代えがたい貴重な時間に感じられた。

様々な会話の最後に美沙は

「私はこうして教師をしているのは、小学校の時に読んだ、『赤毛のアン』という小説の主人公アン シャーリーがやはり教師をして、それから夫について様々な引越しをし、そこの人々と触れ合い、子供を育てて、人生を深く生きていく姿にとても感動したからなの。

その中でね、確かアンが結婚するころ・・『アンの夢の家』・・だったと思うんだけど、結婚式に出席してほしい仲良しだった友人の一人が、ご主人が宣教師で、日本に赴任中でアンのいるカナダに帰ってこられないっていうのね。
そしてその時、かつてその友人はインドに行くかもしれないと言っていたのに、今は日本よ・・とアンがいうところがあったと思うけど・・・・」

と、いう不確かな話にも、美沙自身ここではっとしたことがあった。そして

「アメリカや、カナダの人から見れば、インドも日本も 遠くの全く未知の国であることには変わりはないのだわね。だから私もきっとインドで元気で暮らせると思うわ。」

と、結んだ。デリーへの道の第一歩を踏み出した。

生徒たちは、特に女生徒には、この時の美沙の言葉はその後も深く印象に残ったようであった。

 つづく

by akageno-ann | 2007-12-09 00:09 | 小説 | Comments(4)

Commented by まーすぃ at 2007-12-09 00:37 x
転職である教師の仕事を辞める決意をすることは、未知なる国に移住することよりもきっと美沙先生にとっては、大きな決心だったのではないでしょうか…。

それでも…、きちんと子供たちに向き合って自分の心のうちを離した先生のこと、子供たちにとってはとても大きな印象として残っていくことでしょうね…。

アンが同じ立場だったら…迷わず、付いていってたと思いますよ…彼女もきっと、何か未知なるものに、挑戦する人、家族のために頑張れる…なぜか、そう確信する私です…。
Commented by ロッキン at 2007-12-09 00:44 x
子供たちの支離滅裂な質問の嵐・・・それに1つづつきちんと答えていく美沙さん。

その様子が手にとるようにわかります。そして、美沙さんの心の動きも。

でも、そうですよね~ 未知の国インドへだもの。しかも、大好きな教師という仕事をやめていくのだから・・・ 美沙さん自身が1番色々な葛藤があったと思います。

Commented by akageno-ann at 2007-12-09 08:23
まーすぃさん、少しは笑っていただけましたでしょうか?私はあなたの笑いのセンスをまなびたいのですが・・・本は楽しく読んでなんぼ・・だと思うのです・・まだまだ修行中・・笑
Commented by akageno-ann at 2007-12-09 08:24
ロッキンさん、こうして書いていると様々な思いがわいてきて、子供たちに何かメッセージを残したくなるのがどうも習性なんです・・笑
教師であることより、辞めてわかることってあるようです。
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