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ウイーン我が夢の街

これまでのあらすじ
(お陰さまで100話を越えてたくさんの方に読んでいただける幸せを感じています。)
☆片山美沙は東京の中学校教員であったが、夫翔一郎の在外教育施設派遣教員のインドニューデリー赴任に伴い、退職して未知の国での生活を始めた。異文化の中で手探りながらも次第にその中にある日本とは別の魅力を感じながらサーバントとの日常を過ごしている。夫の同僚の妻高知から派遣されていた北川怜子(さとこ)と思いがけない息投合を得て、二年目に突入したデリーの暮らしが広がりつつある。怜子は1年先に赴任していたが子宮癌を患い手術を日本で受けて、闘病しながらもデリーの暮らしに戻ってきた。美沙は赴任早々早期流産という辛い体験をするが、怜子と互いに支えあいながらデリー生活を前向きに進めている。
デリーの風物詩を織り交ぜながら、健康管理休暇ではインド国外に出て文字通りデリーの厳しい暑さの避暑を兼ねて様々な見聞を広めることに余念がない。
ただ今は怜子と美沙は共に欧州へ出て、折々に待ち合わせて互いの旅の無事を確認しながらそれぞれのヨーロッパ旅行を続けている。☆
(これからもどうぞ声援よろしくお願いします。)by ann

・・・・本文・・・・
「いやああ・・にいちゅうねえ」ウイーン我が夢の街_c0155326_1843589.jpgウイーンに着いた怜子はその町の市電を見て、故郷の高知の町に似ている、と
思わず夫の北川に向かって土佐弁で叫んだ。

ヨーロッパでいきなり故郷を彷彿とさせられるとは夢にも思っていなかったが
さっそく二人はその市電にのってみることにした。
一つ一つの駅との区間が短くて、しかも市内の様々な名所の前に駅があるところなど
高知の土佐電鉄・・とでん・・とそっくりなのである。

この電車の優れているのは、駅に着くとホーム側に傾斜して、お年寄りや体の不自由な人がステップなしで乗れるよう巧妙な工夫がされていることだった。

少し疲れの出てきていた怜子にはありがたい優しい配慮で、この町が一目で好きになってしまった。メイン通りにはひしめき合うように中世の建造物と音楽関係者の記念館、そこにバスと車とこの市電、そして美しい馬車が整然と走っているのだ。

インドはまた混然と様々な乗り物が走っているな、とそのこともふと思い出された。

オペラ座の界隈にはシュテファン寺院の尖塔も見え、その下の町並みに有名なドブリンガーの楽譜屋がある。
今にもかつての大作曲家や楽器奏者が楽器と楽譜を抱えて現れそうであった。

他愛もないことと夫に笑われながらも怜子が最初にしたかったことはホテルザッハであの生クリームのいっぱい添えられた、ザッハトルテでお茶をすることだった。

ザッハトルテはホテルザッハのケーキ職人の考案したチョコレートケーキだが、その歴史は長いヨーロッパの時代が反映されている。

あの「会議は踊る、されど進まず」という言葉を輩出したウイーン会議・・それはフランス革命やナポレオンの戦争の終結によって、ここウイーンでヨーロッパの党首が集まって領地の分割のことなど難しい内容の会議をし、その際にこのケーキも出されたという。

「会議は踊る」という古い映画も怜子は観ていた。


そこから北川夫妻はウイーンにある日本大使館を訪ねた。インド1年目に北川が日本人学校で担任をした家族がその後ここに赴任したと連絡があった。

父親は大使館の一等書記官で、ドイツ語の堪能な感じの良い人であった。
夫人は大変学校に協力的な人で、インドでもこのオーストリィでも家族のために頑張っていた。

言われていたとおり、その人を大使館に訪ねると

「ようこそいらしてくださいました。懐かしいですネエ、北川先生。
デリーでは本当にお世話になりました。」

「いやあこのきままな旅で申し訳ないので、ちょっとご挨拶だけと思いまして。」

と、北川も恐縮して訪ねたのだ。

「何をおっしゃいます、大体この日をお便りでお知らせいただいていたので家族はスタンバイしてますよ。今日は夕食をご一緒しましょう。我家でささやかですが和食を差し上げます。」

「いえいえそんな食事は結構ですよ。」

「大丈夫です。北川先生、インドよりここが和食に恵まれているということはないのですよ。
ドイツからだと殆ど和食にはありついていないでしょう。たいしたことはいたしませんよ。でも相変わらず日本から送ってもらったり、家内は工夫して和食をこしらえてます。インドの暮らしはここでも大変役立っているのですよ。」
そう、にこやかに誘われた。

「そうですか・・ではお言葉に甘えます。」

北川もそう、告げてから その人の仕事の終業時間まで2時間ほどあったので、夫妻は市内を歩くことにした。
どこからか音楽が流れ出るような、重厚で明るい町という印象のウイーン。
シュテファン寺院の前ではオペラ魔笛の扮装でコンサートの案内を配布していた。
2時間という時間はこのこじんまりした町では十分な見学時間であった。

ウイーン我が夢の街_c0155326_20174056.jpg                       
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怜子はウイーンに入りました。
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                          インドの町を久しぶりに思い出してください。。

by akageno-ann | 2008-03-18 20:29 | 小説