インド帰国まで4日 パリにて
あらすじと物語の周辺
インドで出逢った、美沙と怜子は年齢の差を越えて意気投合し、日本人学校の教員夫人として駐在生活を続けていた。
二人の共通点は『赤毛のアン』の熱心な読者であったことと、高知出身の怜子、夫の母親が高知出身の美沙、そして何より、デリーで一番のご近所同士だった。
8歳ほど下の美沙を可愛らしい後輩として面倒をみる怜子は子宮癌を患いながらも果敢に病気と戦って、1年をデリーで過ごし、次第に元気を取り戻しつつあった。
美沙はそんな怜子の心の支えになり、また彼女自身を慕って朝な夕なを共に過ごしていた。
怜子は最後のデリーの猛暑の夏を、美沙には2年目の夏休みを共にヨーロッパに渡って
避暑をしながらエネルギーを貯えていた。
それぞれに各国を回り、最後はパリで落ち合ってともにデリーへ帰国する予定であった。
本文
先にパリに入っていた北川怜子たち夫妻は6月のパリがかなり気温が低いので、体調のために
南仏ニースへ入っていた。そこで3日をすごして再びパリへもどろうとしていた。
美沙たちはマドリッドからパリに入り、怜子たちの滞在先のホテルを訪ねた。
そこに間もなくニースから戻る予定で部屋が予約されていることを聞いた。
同じホテルに部屋がその日はあるというので、美沙たちも1泊をそのホテルにした。
翌日怜子たちが帰ってきたら別のホテルを探して移動すればよいのだ。
感じのいい瀟洒なホテルで美沙は大変気に入っていた。
パリのオペラ通りを一つ外れた道沿いにあって、生活観のある店も並び、とはいえ
その店も美しいショーウインドの飾りつけがなされ、これがパリというものか、と美沙は
感動していた。
学生の頃に一度観光でやってきたときと違って、インドから入ったパリの雰囲気は建物や聞こえてくるフランス語に至るまで先進国である上に古い歴史とヨーロッパに脈々と流れるキリスト教という宗教による影響も何故か憧れのものに感じてしまうのは何なのか・・・
答えを出すことはできないでいた。
ただここに三泊した後 美沙たちはデリーに帰って暑い夏の残りの何ヶ月かを過ごさなくてはならないのだ、ということは確かだった。
この季節はこのあたりは日が長くなる頃で 夜も遅くまで開放的な気持ちになれた。
エッフェル塔は昼間の繊細なレース模様のような金属の姿から夕暮れはセーヌ川のほとりに佇む眩い光のモニュメントに変貌し、おりから乗っていたバトームーシュという遊覧船の美沙の心をしっかりと包みこんでいた。
だからといって、ここを離れたくない、という思いではなく、ここでの美しい日々を心に刻んで我家であるデリーに帰っていくのだ、という思いを確実に持っていた。
ここまで気楽なご当地の店に入り、なんでも美味しく食べていた美沙たち夫婦だったが、ここでは案内書にあった、セーヌ川沿いにある日系のホテルの和食レストランでしゃぶしゃぶや、寿司や天麩羅という贅沢な日本料理を心置きなく食べながら、今度はそこから眺める美しい電飾の光に包まれた、遊覧船を眺めて感動の声をあげてしまっていた。
「しかし、今回の旅で、インドに決まったことをかなり受け入れられたよ。まあここでも俺なんかフランス語のできないものはもっと別な生活の中のジレンマを感じるのかもしれないなあ。」
翔一郎は久しぶりの日本酒に酔って語っていた。
フランス語の壁はかなり厚いと感じることが多々あり、この日も洗濯屋で美沙がかたことのフランス語で3日後までに夫のズボンのクリーニングを頼んだら、店主に巻くし立てられてしまった。
不安になり 近くを通りかかったフランス人の夫と歩いていた日本人女性に確認してもらったり、老舗のデパートで年配の店員に英語を敬遠されたりと、生活の中で仏語のできないことに大きな劣等感をもつような錯覚にも陥ったのだ。
だが美沙は、言いようもなくこの都市パリへの憧れを強めてしまっていた。
インドを受け入れた夫のことは嬉しく認められても、もしここで同じ3年を過ごすことになったら、と思いを馳せることくらいは、今この短い滞在の中では許される、と 一人心の中にしまいこんでいた。
8歳ほど下の美沙を可愛らしい後輩として面倒をみる怜子は子宮癌を患いながらも果敢に病気と戦って、1年をデリーで過ごし、次第に元気を取り戻しつつあった。
美沙はそんな怜子の心の支えになり、また彼女自身を慕って朝な夕なを共に過ごしていた。
怜子は最後のデリーの猛暑の夏を、美沙には2年目の夏休みを共にヨーロッパに渡って
避暑をしながらエネルギーを貯えていた。
それぞれに各国を回り、最後はパリで落ち合ってともにデリーへ帰国する予定であった。
本文
先にパリに入っていた北川怜子たち夫妻は6月のパリがかなり気温が低いので、体調のために
南仏ニースへ入っていた。そこで3日をすごして再びパリへもどろうとしていた。
美沙たちはマドリッドからパリに入り、怜子たちの滞在先のホテルを訪ねた。
そこに間もなくニースから戻る予定で部屋が予約されていることを聞いた。
同じホテルに部屋がその日はあるというので、美沙たちも1泊をそのホテルにした。
翌日怜子たちが帰ってきたら別のホテルを探して移動すればよいのだ。
感じのいい瀟洒なホテルで美沙は大変気に入っていた。
パリのオペラ通りを一つ外れた道沿いにあって、生活観のある店も並び、とはいえ
その店も美しいショーウインドの飾りつけがなされ、これがパリというものか、と美沙は
感動していた。
学生の頃に一度観光でやってきたときと違って、インドから入ったパリの雰囲気は建物や聞こえてくるフランス語に至るまで先進国である上に古い歴史とヨーロッパに脈々と流れるキリスト教という宗教による影響も何故か憧れのものに感じてしまうのは何なのか・・・
答えを出すことはできないでいた。
ただここに三泊した後 美沙たちはデリーに帰って暑い夏の残りの何ヶ月かを過ごさなくてはならないのだ、ということは確かだった。
この季節はこのあたりは日が長くなる頃で 夜も遅くまで開放的な気持ちになれた。
エッフェル塔は昼間の繊細なレース模様のような金属の姿から夕暮れはセーヌ川のほとりに佇む眩い光のモニュメントに変貌し、おりから乗っていたバトームーシュという遊覧船の美沙の心をしっかりと包みこんでいた。
だからといって、ここを離れたくない、という思いではなく、ここでの美しい日々を心に刻んで我家であるデリーに帰っていくのだ、という思いを確実に持っていた。
ここまで気楽なご当地の店に入り、なんでも美味しく食べていた美沙たち夫婦だったが、ここでは案内書にあった、セーヌ川沿いにある日系のホテルの和食レストランでしゃぶしゃぶや、寿司や天麩羅という贅沢な日本料理を心置きなく食べながら、今度はそこから眺める美しい電飾の光に包まれた、遊覧船を眺めて感動の声をあげてしまっていた。
「しかし、今回の旅で、インドに決まったことをかなり受け入れられたよ。まあここでも俺なんかフランス語のできないものはもっと別な生活の中のジレンマを感じるのかもしれないなあ。」
翔一郎は久しぶりの日本酒に酔って語っていた。
フランス語の壁はかなり厚いと感じることが多々あり、この日も洗濯屋で美沙がかたことのフランス語で3日後までに夫のズボンのクリーニングを頼んだら、店主に巻くし立てられてしまった。
不安になり 近くを通りかかったフランス人の夫と歩いていた日本人女性に確認してもらったり、老舗のデパートで年配の店員に英語を敬遠されたりと、生活の中で仏語のできないことに大きな劣等感をもつような錯覚にも陥ったのだ。
だが美沙は、言いようもなくこの都市パリへの憧れを強めてしまっていた。
インドを受け入れた夫のことは嬉しく認められても、もしここで同じ3年を過ごすことになったら、と思いを馳せることくらいは、今この短い滞在の中では許される、と 一人心の中にしまいこんでいた。
by akageno-ann | 2008-03-25 18:47 | 小説 | Comments(19)

パリに漂う芸術の香りは、とても素晴らしく、なんとも形容しがたいですね。
私はフランス語が全くダメで、やはりパリで苦労しました。英語を話せる人は結構いるらしかったのですが、それでも美沙さんと同じように、フランス語でまくし立てられました。それで、ちょっと外国人に不親切だなあと言う印象を、長いこと持っていました。
でも、昨夏、フランスからの仲間と旅をして、これまでの認識を少し変えました。彼等によれば、パリは他の都市とは、ちょっと違うらしいです。
それにしても、この街は不思議な魅力を持っていますね。美沙さんがこの街にひかれるのが分かる気がします。
私はフランス語が全くダメで、やはりパリで苦労しました。英語を話せる人は結構いるらしかったのですが、それでも美沙さんと同じように、フランス語でまくし立てられました。それで、ちょっと外国人に不親切だなあと言う印象を、長いこと持っていました。
でも、昨夏、フランスからの仲間と旅をして、これまでの認識を少し変えました。彼等によれば、パリは他の都市とは、ちょっと違うらしいです。
それにしても、この街は不思議な魅力を持っていますね。美沙さんがこの街にひかれるのが分かる気がします。
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怜子さんと美紗さんご夫妻がパリで合意・・・この日を楽しみにしてました!
インドからはいったパリと日本からはいったパリでは、その土地で経験したものがバックグランドにあるから、感じ方も受け止め方もまた違ってくるんでしょうね・・・
パリ、壁の高いところというイメージがありますが、きっと美紗さんと怜子さんのこと、パリを彼女たち流で堪能することでしょうね!
ランキング、素晴らしいです! 応援してます!
インドからはいったパリと日本からはいったパリでは、その土地で経験したものがバックグランドにあるから、感じ方も受け止め方もまた違ってくるんでしょうね・・・
パリ、壁の高いところというイメージがありますが、きっと美紗さんと怜子さんのこと、パリを彼女たち流で堪能することでしょうね!
ランキング、素晴らしいです! 応援してます!
パリ、すべてが絵になりますね。女友達といくとそれはもう楽しいと思います!! 私はフランス語を取っていたわりには、簡単な会話しかできず、仕事でパリに滞在したときに、失敗したり、少し理不尽な想いをしたりもしましたから、パリへの憧れ以外にもパリに暮らすって大変なことなんだなあ、とも感じました。
アメブロの小夏ちゃんも楽しみにしています♪
応援!!
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
美沙さんたちもいよいよパリに入ったんですね。
↑の写真、モンマルトルのテアトル広場だと思いました^^
私のブログを紹介してくれて、どうもありがとう~!うれしいです☆
美沙さんにとって、翔一郎さんの「インドを受け入れられる」っていう言葉は、エッフェル塔のルミネーションよりもキラキラ光って心に浸透していったんでしょうね。うれしかっただろうと想像しますよ~!パリは花の都というけれど、それよりも光の都として知られてます。夜になるとイルミネーションがキレイですよね☆
私は最初の1年間はフランス語がまったくダメ(レッスンを取ったのにも拘らず)だったけれど、近くに英語の達者なとっても親切なアルメニア人の家族が開く写真屋さんによく駆け込んで助けてもらいました。彼らの親切は一生忘れないでしょう。後は、仕事で学び、夫と付き合い始めて学び、また語学学校で学んで。。。
でも結婚する過程から、した後のパリ生活の方が理不尽なことが多かったですね。もっと生活感に密着したせいかも?お役所、税務署、なんでも泣かされたなぁ。。。今となってはこれも良い思い出!?(笑)応援も!
↑の写真、モンマルトルのテアトル広場だと思いました^^
私のブログを紹介してくれて、どうもありがとう~!うれしいです☆
美沙さんにとって、翔一郎さんの「インドを受け入れられる」っていう言葉は、エッフェル塔のルミネーションよりもキラキラ光って心に浸透していったんでしょうね。うれしかっただろうと想像しますよ~!パリは花の都というけれど、それよりも光の都として知られてます。夜になるとイルミネーションがキレイですよね☆
私は最初の1年間はフランス語がまったくダメ(レッスンを取ったのにも拘らず)だったけれど、近くに英語の達者なとっても親切なアルメニア人の家族が開く写真屋さんによく駆け込んで助けてもらいました。彼らの親切は一生忘れないでしょう。後は、仕事で学び、夫と付き合い始めて学び、また語学学校で学んで。。。
でも結婚する過程から、した後のパリ生活の方が理不尽なことが多かったですね。もっと生活感に密着したせいかも?お役所、税務署、なんでも泣かされたなぁ。。。今となってはこれも良い思い出!?(笑)応援も!
エッフェル塔やパリの町並みをpanipopoさんのお写真と共に頭に描きました♪
学生の時にフランス語をとっていましたが、もうすっかり忘れてしまってきっとパリでは困ってしまうでしょうね~^^;
皆さんのコメントを拝見していてもそうですが、フランスの方々はなかなか頑固のようですね^^
でも、一度は訪れてみたいです★
応援★★
学生の時にフランス語をとっていましたが、もうすっかり忘れてしまってきっとパリでは困ってしまうでしょうね~^^;
皆さんのコメントを拝見していてもそうですが、フランスの方々はなかなか頑固のようですね^^
でも、一度は訪れてみたいです★
応援★★
nobueさん、素敵なコメントありがとう。
なんといってもパリが好きなannです。どんな思いも
パリだから許しちゃいます。どれほど文化の香り高いと思うんですよ。それにパリはデリーと同じくその国の全てが凝縮して人々の心も厳しいって聞きました。フランスの村はまたいいそうですね。
なんといってもパリが好きなannです。どんな思いも
パリだから許しちゃいます。どれほど文化の香り高いと思うんですよ。それにパリはデリーと同じくその国の全てが凝縮して人々の心も厳しいって聞きました。フランスの村はまたいいそうですね。
ロッキンちゃん・・・フランスパリはpanipopoちゃんのブログを拝見してたので・・気合入っちゃって・・笑 でも私の見た、感じたパリを書いてみたいと思いました。実際の経験もパリは一番印象に残りました。その10分の1も書いてないけど・・・また少しずつ書いていきたいと思います。応援に感謝!!!
まーちゃん、お仕事で訪れるパリもまた全然違うのではありませんか?でも芸術や文化の香りはいつも同じように漂っていて、それは誰をも平等に受け入れてくれるところですよね。
買い物も地元の人々が行く場所はとってもよかった・・
もう少しパリのことを書いてみたいと思います。
まーちゃんが復活してくれて嬉しいわん・・
買い物も地元の人々が行く場所はとってもよかった・・
もう少しパリのことを書いてみたいと思います。
まーちゃんが復活してくれて嬉しいわん・・
カギコメさん、Merci ボク・・・
panipopoさん、来てくださってありがとう。
そしてパリをよく知るあなたのコメントに感謝しつつまた書いてみたくなってます。貴方のフランスの香りいっぱいのブログを拝見してると、いきずりの旅は浅いなあと思うのですが、それでも何度か行くうちに私のパリ感が生まれたように思いました。
なんといっても大好きな場所です。
今私の母を連れて行きたかったなあ・・と最近まで誘っていたけど
もう疲れるからと叶いませんでした。
永井荷風・・『フランスにいきたしと思えど、フランスはあまりに遠し』と母は私がパリに行くのを喜び、案内書を熟読する人です。
この人がもう少し若いときに行っていたらどんなに感動しただろうと・・・思うの。パリ駐在だったら呼べたのになあって思ってます。
でも行ってない人もあなたのブログで楽しませてもらえるし、私もそんなパリを書いてみたいの。ほんとにありがとう・・・
とってもたくさんのコメント感動してます。
そしてパリをよく知るあなたのコメントに感謝しつつまた書いてみたくなってます。貴方のフランスの香りいっぱいのブログを拝見してると、いきずりの旅は浅いなあと思うのですが、それでも何度か行くうちに私のパリ感が生まれたように思いました。
なんといっても大好きな場所です。
今私の母を連れて行きたかったなあ・・と最近まで誘っていたけど
もう疲れるからと叶いませんでした。
永井荷風・・『フランスにいきたしと思えど、フランスはあまりに遠し』と母は私がパリに行くのを喜び、案内書を熟読する人です。
この人がもう少し若いときに行っていたらどんなに感動しただろうと・・・思うの。パリ駐在だったら呼べたのになあって思ってます。
でも行ってない人もあなたのブログで楽しませてもらえるし、私もそんなパリを書いてみたいの。ほんとにありがとう・・・
とってもたくさんのコメント感動してます。
クリスタルさん、panipopoさんのところと一緒にここを読んでくださって嬉しいです。ブログの不思議なつながりですね。
貴方の写真もすごく詩が感じられるの。
今は私は気楽にあちこちいけないけど、でもここに居ながらにして心は飛べます。この写真は何気なく撮ったモンマルトルの画家たちの姿だけど引き出しの奥にあって、20年目にこうして皆さんにみていただけて、嬉しいです。その日のことを思い出します。
貴方の写真もすごく詩が感じられるの。
今は私は気楽にあちこちいけないけど、でもここに居ながらにして心は飛べます。この写真は何気なく撮ったモンマルトルの画家たちの姿だけど引き出しの奥にあって、20年目にこうして皆さんにみていただけて、嬉しいです。その日のことを思い出します。
パリって敷居が高いイメージがあります。
学生だったこともあるのですが、お店によっては気おくれしてしまうし・・・。
でも、友達と普通のお惣菜やさん?に入って、いろいろ買い込んで、それをいただいたときは、おいしくて気分もほんわかした記憶があります。
路地を歩いても芸術・・・そんなイメージです。
学生だったこともあるのですが、お店によっては気おくれしてしまうし・・・。
でも、友達と普通のお惣菜やさん?に入って、いろいろ買い込んで、それをいただいたときは、おいしくて気分もほんわかした記憶があります。
路地を歩いても芸術・・・そんなイメージです。
ちかたちゃん、そうなの・・お惣菜屋さんや気楽なカフェは
下手なフランス語でも相手をしてくれていいですよ・・
私敷居は高い感じでなく・・こだわりの街だな・・と思うんだけど
どうかな・・何しろ一番好きな場所なの。
下手なフランス語でも相手をしてくれていいですよ・・
私敷居は高い感じでなく・・こだわりの街だな・・と思うんだけど
どうかな・・何しろ一番好きな場所なの。
いっちゃん、お父さまといらしたのね・・よかったね・・
一番いい旅だと思う。昨日はお疲れさまでした。
一番いい旅だと思う。昨日はお疲れさまでした。
CHILちゃん・・ありがとう・・一番書きたくて結局うまくは書けなかったけど・・・力込めた文なの・・言い切れてないけど・・
貴方が行って描いたらどんな風かなって想像してます。
是非・・いつかご家族で
貴方が行って描いたらどんな風かなって想像してます。
是非・・いつかご家族で