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ジョン万次郎に寄せる思い・・小休止

いつも「アンのように生きる(インドにて)」へのご声援に感謝しています。

ありがとうございます

日本は飛び石連休中ですが、今日はこちらも小説を休んで、高知の偉人
ジョン万次郎を書いてみたくなりました。

昔私が小さいころ、祖母が「万次郎さんは小さな鯨漁船に、まだ小僧さんとして乗りよってね、
海で漂流してアメリカの船に助けられて、難儀したけどアメリカでしっかり勉強して立派な人になって帰ってきたんよ!英語も達者でね。」

と話を聞きましたが、彼についての詳しい内容はその後の歴史の教科書の中にもなく、高知といえば幕末の偉人はやはり「坂本龍馬」で、その影に追いやられています。

しかし近年大分研究は進んだようで、高知龍馬空港でも彼の写真や業績に会うことができます。

土佐清水の小さな漁港で生まれ育った彼は父親が早逝しているので小さい頃から炊事係として漁船に乗り込み太平洋を渡っていました。

小さな船で肉眼で鯨を見つけることは体で覚えていたようです。

1841年、14歳で、その冬の海に乗り出した、乗組員5人の船は折からの時化で漂流・・・
太平洋の孤島
鳥島に漂着してその五人で半年近く無人島生活をしたそうです。

しかし幸いなことにアメリカの捕鯨船にたすけられて、ハワイに寄港。
大人たちはもちろんそこで安全な暮らしを与えられたのですが、ただ一人まだ若い
万次郎は捕鯨船のホイットフィールド船長に望まれてアメリカ本国に連れ帰られました。

もちろん強引にではなく、本人の意志を尊重されたということです。

ここで何故彼がそのように気に入られたかといいますと

捕鯨船の中での彼の機敏な態度、機転もきき、人との交わりも臆するところがなかったといいます。

持ち前の性格、能力もあるでしょうが、やはり若さという点でその柔軟性を買われたようです。
万次郎自身もそれを望んだというのですから、そのとき既に1年以上家を離れて暮らした彼には、どこでも暮らせるという順応性が備わっていたのでしょう。

そしてその船長の愛情が理解できたのではないか、と想像します。
また、鯨を見つけることに自信があり、それから再び捕鯨船にのってグアム フィジー、喜望峰を回って、米国マサチューセッツ州ニューベッドフォードに渡ったそうです。

その間に「ジョン万」のニックネームをつけられたとのことです。

そこには今、捕鯨博物館があって、ジョン万次郎の記録もしっかりあり、日本でよりも 彼は有名な日本人だそうです。

彼はその地で小学校の先生の家に投宿して「いろは」も読めなかった状況から、いきなり「ABC」を学ぶことになったのです。

しかし、彼の能力はそこで開発され、学び、立派な航海士になったのです。

学校での様子は当時の同級生の記録から

「ジョン・万は礼儀正しい上に優しく、勉強家だった」とあるようです。

礼儀正しく、優しく、勉強家・・・この三つはとても大事なことなのですね。

彼はその後ハワイに残っていた他の土佐の乗組員と一緒に1851年、日本に帰っています・

ちょうど10年後ですね。

彼はあの有名な咸臨丸にも通訳として乗っていますし、幕府のために文字通り米国との橋渡しを実践した人だと思います。

ただ数奇な運命だったので、米国の言葉がわかることで密使と疑われたり、日本でも苦労は耐えなかったようです。

しかし、新政府になってからは東京大学の前身開成学校で英語の教授を務め、彼をここまでに教育しようとしたホイットフィールド船長とも再会できたそうです。

1898年、70歳で亡くなっています。

今高知土佐清水には万次郎の記念館があるそうです。(是非訪れたいです)

そして足摺岬には彼が太平洋を望んでいるように銅像があります。


この内容は2004年偶然高知へ帰る飛行機の中で、その機内誌(全日空 翼の王国6月号)で特集されていたものです。

私はその出会いに感動しました。

資料は南部洋一氏文 中川 彰氏写真 コーディネーター坂牧正隆氏によるものです。

四国の中で太平洋に大きく面した土地を持つ高知に生まれ育ったことは外国という場所を
海の向こうという比較的身近に感じられる環境にあるかと思います。

私の祖父は幼い私の父をつれて、旧満州に渡り終戦まで過ごしています。

私もまた偶然にインドに渡る事になったとき、祖父に電話でそう告げると

「それもよかろう」という一言でした。

心配しながらも新しい土地での暮らしを容認する土佐の気質だと感じています。

長くなりました。ご高覧ありがとうございました。

初めてお立ち寄りの方へ
インドを舞台にした日本人女性の生き方を綴る小説です。
あらすじは下にあります。
この小説の冒頭は・・こちらへ
ジョン万次郎に寄せる思い・・小休止_c0155326_1644152.jpg

「annと小夏とインド」
更新しました。みどりの日の散歩です。

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(高知の地域情報にもエントリーさせていただきました。)




片山美沙は夫翔一郎の在外派遣教員としてのインドデリー赴任に伴い、中学校教員という職を辞して渡印した30歳前半の女性であった。

子供もまだおらず、デリーで始まった異文化の中での暮らしは戸惑うことも多く、一緒に渡った夫の同僚教員の家族との交流から始まった暮らしであったが、子供のいる家庭とそうでない家庭のここでの日々の違いから、1年早く同じ立場でここに居住していた、高知県出身の北川怜子(さとこ)の家と近くであることから、次第に親しく交流するようになった。

怜子夫妻にもやはり子供はなく、怜子自身は日本で看護士という職を退いて夫に伴われてきえいたことにも互いに共通点を見出していた。

しかし、怜子は1年目の終わりころに、子宮癌が発覚し、一時日本に帰国して手術し、抗がん剤治療を行っていた。

怜子は抗がん剤治療の半ばでその薬をインドに持ち込みながら、再びデリーに戻ってくるという強靭さをみせた。

北川、片山両夫妻は互いに打ち溶け合って、デリーの暮らしを二分するように、喜びも暑さによる苦しみも共に分かち合うのだった。

美沙の二年目の夏は二夫婦はヨーロッパに旅に出て、さらに親交を深めたかのようであった。

デリーの暮らしは厳しい暑さと戦いながら、インドの人々の文化やしきたりを学び、その中で強く生きていかねばならないことを美沙も、怜子もそれぞれの立場で感じていた。

とりわけ美沙は最初の酷暑の中で早期流産をしていまい、心と体に少なからず打撃を受けていた。

二人の女性は偶然同じ、互いの愛読書「赤毛のアン」のシリーズ本を心の支えに、インドの暮らしを自分の中に取り込み、時に心揺るがせながらも勇気を持って生活していく。

生まれ育った環境も、年代も違う二人の日本女性が、厳しい環境、異文化の中で、次第に寄り添おうとする姿を、そして癌という病のためにまた確実に別れが迫っている二人をインドの風物と季節のうつろいと共に描いている。

三年の任期をあと数ヶ月で終えようとしていた北川夫妻に、訪れた試練、それは怜子の癌の再発の恐れと早期帰国の決断を迫られた。

怜子という一人の強い意志を持つ女性の力によって支えられていた片山夫妻と怜子の夫北川の葛藤、死を決意したように一人で日本に帰ろうとする怜子本人の思いをもって
終章に入る・・・・・・
そしていよいよ怜子は日本の実家高知県に帰る。
病気を心配して美沙は自分の健康診断をかねて同行する。

by akageno-ann | 2008-04-30 16:37 | 番外編 | Trackback | Comments(22)

Commented by CHIL at 2008-04-30 20:56 x
四国には1度だけ旅行に行った事があります。
女友達と二人で・・・、98年に行ったのでもう10年も前になります。
ジョン万次郎さん(銅像)と写真を撮りました♪

土佐気質・・・、海に流れ込む四万十川のような、
ゆっくりとした大きな心なのでしょうね。。。

土佐の空気の中は病の怜子をどのように包んでくれるのか・・・。
小説の続き楽しみにしています(^^)
Commented by akageno-ann at 2008-04-30 22:59
CHILさん、ジョン万次郎との写真大事にしてね・・私もまた行きたいんですが、高知は広くて実家に帰るのが精一杯なの。
皆忙しい時期らしくて・・ちょっと物語の更新をゆっくりにしています。また明日はゆっくりつなげますので読みにいらしてくださったら
嬉しいです。
Commented by ぱにぽぽ at 2008-05-01 00:19 x
ジョン万次郎の話、興味深く読みました。知っていても改めて知りなおすっていうことも記憶が曖昧なときには、大変役に立ちますね。アメリカ人の中には足長おじさん的な後見人になって、若くて有望な人間を育てて行く人って案外といますよね。素晴らしいことだと思います。特にジョン万さんのように機転の利く子供だったら、教育の投資をすることは大切ですよね。

助け、助けられる。これって、人間の営みのひとつですね。
Commented by ロッキン at 2008-05-01 01:52 x
ジョン万次郎の話、興味深く読ませていただきました。
特に小学校の頃、学校で習って、彼に刺激をうけたのを覚えています。

人ってお互い、支え合いながら生きてるですよね・・・

Commented by まーすぃ at 2008-05-01 02:32 x
いいですね〜!とても興味深いです。ちょうど大河ドラマを見ているのでよけいにジョン万次郎について興味が沸いています。

世界の橋渡しとなった。。。それが高学歴や名門の出ということではなく、本人の才能や努力で花開いた点に特に感銘を覚えます。。。
Commented by ann at 2008-05-01 07:23 x
ぱにぽぽちゃん、この話を続けてくださってありがとう。
そうなんですよね。アメリカ人の気質って新しい人材を
見つけるのが得意という感じがします。ジョン万の気質が
流れているといいなあ、と今さら思うわたしです・・笑
Commented by ann at 2008-05-01 07:25 x
ロッキンちゃん、小学校の頃授業があったのですね。
よかったですねえ。だから・・というわけではないでしょうけれど、
外国に対する興味関心を喚起する授業が私も受けられたら良かったなあって今さら思うのですが、自分の中にそういう感性が不足してました。
Commented by ann at 2008-05-01 07:27 x
まーすぃちゃん、『篤姫』にも出てきましたね。帰国後のジョン万次郎。
「世界の橋渡しとなった。。。それが高学歴や名門の出ということではなく、本人の才能や努力で花開いた点に特に感銘を覚えます。。。」の言葉ありがとう。実に私もそうなのです。
Commented by daikanyamamaria at 2008-05-01 09:48
四国は、夫の故郷もあるゆかりの地です^^

翼の王国、帰省するたびにコレクションしているので、こちらでご紹介されて嬉しい気持ちです♡

自分の賜物を信じ、夢に向かってひたすら生き抜いたであろう万次郎。。。
mariaもそうあれたらと。。。5月の初めての朝に。。。♬
Commented by akageno-ann at 2008-05-01 10:26
mariaさんそうなのね・・コレクション
なるほど・・・また勉強になってしまいました。
私も思い切ってコレクション・・でも私の場合なんだか
捨てきれず・・残してるようだったけど・・これからはもっと
こんな風に思い起こして読み直してみます。
四国に・・・嬉しいコメントありがとうございます。
Commented by オレンジ at 2008-05-01 11:11 x
ジョン万次郎のお話ですね。
実は先日、子供に紹介する日本の偉人でこちらで本になっているひと、というのを探していました。
ピグリーさんが、ジョン万次郎の本があると教えてくれたのです。
万次郎のことは、恥ずかしながら簡単な知識しかありませんでしたので、高知の出身だということも知りませんでした。坂本龍馬の陰に隠れてしまいがちなのはわかりますが、彼が漂流し、その後外国で立派に活躍をした、というのは口に出せば簡単ですが、それこそ大河物語にもなりそうないろいろなことがきっとあったのですよね。本人に話しを聞けたらどんなにいいかなあと思います。
Commented by akageno-ann at 2008-05-01 14:01
オレンジさん、そうですかそちらでお子さんたちに
素敵なお話ありがとう。私こそ半世紀生きてやっと彼に注目させてもらったという感じです。中学校の講師をしていたときにホームルームの時間に取り上げて、1年生でしたが英語に対する興味関心ももっと持って欲しいということで紹介しました。
生涯を小説にしたものには 津本陽氏の『椿と花水木』というのがあります。今読んでいるところです。
彼が長生きして日本の英語教育に影響したことを嬉しく思うのです。
Commented by さりすけ at 2008-05-01 16:14 x
姉さん、とても興味深い人だね。ホントの教育とはその人の持つ才能を引き出し伸ばすことではないかと、これを読んでまた再確認できたような気がします。そして、その船長のように人の中の才能を見いだし、引き出してあげる、または人生の転機へのチャンスを人に与えられる人は素晴らしいなと思いました。

こういうのもたまにはいいね、姉さん。とてもリフレッシングだったよ。
Commented by elliottyy at 2008-05-01 17:05
息子をジョン万次郎のように育てたい!!(笑)な~んちゃって。

うんうん!リフレッシュ!しました!!
いいね~~。本当に アンちゃんの文章には引き込まれます♪
Commented by akageno-ann at 2008-05-01 18:01
さりちゃん・・リフレッシングっていい言葉だねえ・・
私もお陰で行き詰らずに楽しく続けられます。
こうしてアメリカの方からも彼のことを思ってもらい
日本でも見直していける・・っていうだけでも彼の功績は
大きいと思うの。
Commented by akageno-ann at 2008-05-01 18:03
いっちゃん・・針君はもうそういうやる気というか真摯な考え方があるよね・・楽しみだわ。
そんな風に言ってもらってまた書く気になってます・・笑
Commented by geko at 2008-05-01 18:27 x
ジョン万次郎の伝記を読んで、感動したのを覚えています。
すごい人がいたんだなぁって。
本が大好きなんですが、なかなか読むひまがなくて
・・・・でも、akageno-annさんの小説、これから
じっくり読ませて戴きます。とても楽しみです。
これからもどうぞよろしくお願いします。

akageno-annさんはインドにお住まいなんですか?
Commented by akageno-ann at 2008-05-01 20:12
gekoさん、さっそくいらしてくださってコメントありがとうございます。ジョン万次郎についても興味を持たれていらっしゃるとのことすごく嬉しいです。小説は拙いものですが、お暇なときに覗いてください。読んでいただけるのは幸せです。
インドには20年前にいました。時を経て思い出を物語りにできるようになったようです。こちらこそ、どうぞよろしく!
いっちゃんにも感謝です。
Commented by kaseno-sanpo at 2008-05-01 21:42
竜馬がゆくを読んだら、ジョン万次郎が出て来ます。
その時の驚きが新鮮でしたねえ。
ぽち。
Commented by akageno-ann at 2008-05-01 22:13
風さん、そうでしたっけ・・司馬遼太郎のですね。
また久しぶりに読んでみます。
Commented by ママ at 2008-05-02 14:51 x
この前、古本屋さんに行って赤毛のアンを探したのですが
売ってなくてお店の人に聞いたら、ないって(ノω・、) ウゥ・・・

小さい古本屋さんだったから今度は大きい所で探してみます。

ジョン万次郎って聞いたことはあるんですけど
それも今度探してみます( ´^ิ益^ิ`)ノ ハーイ

└(・∀・)┐ズンズン┌(・∀・)┘チャッチャッ ポチポチ
Commented by akageno-ann at 2008-05-02 15:57
ママ・・・うれしいわ・・・赤毛のアン送るよ!!今度
ジョン万さんは学校の図書館にあったら軍団に
読んで欲しいな。
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