2009年 06月 28日
時代の寵児
マイケルジャクソンにこの言葉をあてはめていいのかはわからないが、
50才になっていた彼の突然の病死は衝撃というしかない。
若いころのはじけるようなリズム感での彼の歌とダンスに私も少なからず魅了されていた。
ものまねのコロッケ氏のマイケルも私は好きだった。
女性ではホイットニーヒューストン・・ 私の好きな彼女の曲で追悼を
アメリカの音楽に本当に憧れた時代!
随分と私の生活の中に彼の音楽と芸術性の影響を受けたものが入り込んでいると感じられる。
マイケルの若い頃のそうジャクソン5時代の曲は特に好きです。
この時代youtubeですぐに聞けるから幸せ・・
今日は日本テレビで彼の日本滞在秘話を放映し、新ためてファンになった。
純粋な青年だったかれがいつの間にか半世紀を生きて、おそらく薬の副作用による突然死
私の叔母はやはり心臓病を長く患っていて、49歳で早逝
その時も薬の副作用と言われたので、共通項を感じてしまった。
50才という年齢は様々に体の変調があって、大事にしないといけない年代なのかもしれない。
しかし、彼は遺してくれたたくさんの音楽と共に、永遠に私たちの心にあり、彼もまた天上で音楽の神となって幸せに暮らされるのだと、感じる。
心から冥福を祈ります。

今朝 庭のカサブランカが咲きました
50才になっていた彼の突然の病死は衝撃というしかない。
若いころのはじけるようなリズム感での彼の歌とダンスに私も少なからず魅了されていた。
ものまねのコロッケ氏のマイケルも私は好きだった。
女性ではホイットニーヒューストン・・ 私の好きな彼女の曲で追悼を
アメリカの音楽に本当に憧れた時代!
随分と私の生活の中に彼の音楽と芸術性の影響を受けたものが入り込んでいると感じられる。
マイケルの若い頃のそうジャクソン5時代の曲は特に好きです。
この時代youtubeですぐに聞けるから幸せ・・
今日は日本テレビで彼の日本滞在秘話を放映し、新ためてファンになった。
純粋な青年だったかれがいつの間にか半世紀を生きて、おそらく薬の副作用による突然死
私の叔母はやはり心臓病を長く患っていて、49歳で早逝
その時も薬の副作用と言われたので、共通項を感じてしまった。
50才という年齢は様々に体の変調があって、大事にしないといけない年代なのかもしれない。
しかし、彼は遺してくれたたくさんの音楽と共に、永遠に私たちの心にあり、彼もまた天上で音楽の神となって幸せに暮らされるのだと、感じる。
心から冥福を祈ります。

今朝 庭のカサブランカが咲きました
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by akageno-ann
| 2009-06-28 09:41
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2009年 06月 25日
菊池寛
ふと若い頃の暗号を思い出した。
学生時代黒電話だったころ・・時に友人と長話して父親にしかられたことがあった。
電話が長くて切らない私に妹が「菊池寛」と暗号を送ってきた。
父が帰ってきた、電話を切った方がいい・・ということだ・・
菊池寛氏には「父帰る」という、名作があった。
今日ふとその言葉が頭をよぎった・・
心臓病で入院中の義父がそろそろ退院を医師から告げられた・・と嬉しそうだった
予定通りで順調と言う事だった。
「菊池寛」
そう呟きつつ、帰宅した。
今日はご近所の友人ご夫妻が見舞ってくださって、大いに励まされた。
高齢の父はこれからの養生が大切だ。
そしてその衣食住を背負う自分の責任の重さを思ったが
あまり深刻にならず・・いつもどおりに・・と考えることにした。
病院のようにはいかないが・・父が好きなように、今までのように暮らせればいいのだ
大きな手術だったが・・しっかりとした足取りで歩いている・・
しかし、また胃の切除という大きな手術が待っている・・
今の医学・・すごい!
しかしまだまだ不安を拭い去れない・・
とはいえ、今日は今日の状況で・・のんびりとしている・・
来週早々の退院に向けて・・明日は父の部屋に新しいエアコンが入る予定・・
久しぶりに病院には行かず、義父の実の娘に気持ちまで預けることにした。
ほんのちょっと嫁への労わりを話し合ってもらえたら嬉しい・・
菊池寛 「父帰る」


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学生時代黒電話だったころ・・時に友人と長話して父親にしかられたことがあった。
電話が長くて切らない私に妹が「菊池寛」と暗号を送ってきた。
父が帰ってきた、電話を切った方がいい・・ということだ・・
菊池寛氏には「父帰る」という、名作があった。
今日ふとその言葉が頭をよぎった・・
心臓病で入院中の義父がそろそろ退院を医師から告げられた・・と嬉しそうだった
予定通りで順調と言う事だった。
「菊池寛」
そう呟きつつ、帰宅した。
今日はご近所の友人ご夫妻が見舞ってくださって、大いに励まされた。
高齢の父はこれからの養生が大切だ。
そしてその衣食住を背負う自分の責任の重さを思ったが
あまり深刻にならず・・いつもどおりに・・と考えることにした。
病院のようにはいかないが・・父が好きなように、今までのように暮らせればいいのだ
大きな手術だったが・・しっかりとした足取りで歩いている・・
しかし、また胃の切除という大きな手術が待っている・・
今の医学・・すごい!
しかしまだまだ不安を拭い去れない・・
とはいえ、今日は今日の状況で・・のんびりとしている・・
来週早々の退院に向けて・・明日は父の部屋に新しいエアコンが入る予定・・
久しぶりに病院には行かず、義父の実の娘に気持ちまで預けることにした。
ほんのちょっと嫁への労わりを話し合ってもらえたら嬉しい・・
菊池寛 「父帰る」


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by akageno-ann
| 2009-06-25 23:27
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2009年 06月 24日
夫婦道 最終回
TBS水曜9時のドラマ 「夫婦道」
この舞台は私の住んでいる入間市のお茶屋さんが舞台です。
その中の一つ中島園さんのお茶工場を拝見させていただきました。

ブラックリという珍しい花が玄関先で出迎えてくれました。
初めて見た花です。メタリックな雰囲気が豪華です。

お茶工場は忙しい季節です。その日摘まれたお茶の葉は工場でその日のうちに製茶されます。
ベルトコンベアにのって、同量のお茶が蒸され、急速に冷やされています。

蒸気からはお茶の香りが漂って肺いっぱいに吸い込んでしまいたいような空気が流れています。
この機械は手もみの代わりにお茶を揉みます。その動きをみているとまるで人間がやるのと同じような動きが感じられます。

その間の行程をご主人はずっと見守っています。最低5時間はかかるというこの日も午前2時までかかるということ。この季節は平均睡眠3,4時間とのことでした。

今日の最初のお茶が出来上がって落ちてきました。偶然ながら最高の場面に出会えました。
サ~~っという爽やかな音です。香りは見事な茶の香り・・
美味しいお茶の出来上がりです。
大変な作業の中で一番嬉しい時なのですね。


お茶箱に見事な新茶が詰め込まれます。このお茶は更に選別され袋詰めにされます。

また二番茶以降はペットボトルのお茶に使用されるものもあるようです。
中島園さんありがとうございました。 場所は入間市根岸です。
今日は「夫婦道」最終回も是非ご覧ください。
「小夏庵」も覗いてくださいね。関連記事がございます。

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この舞台は私の住んでいる入間市のお茶屋さんが舞台です。
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ブラックリという珍しい花が玄関先で出迎えてくれました。
初めて見た花です。メタリックな雰囲気が豪華です。

お茶工場は忙しい季節です。その日摘まれたお茶の葉は工場でその日のうちに製茶されます。
ベルトコンベアにのって、同量のお茶が蒸され、急速に冷やされています。

蒸気からはお茶の香りが漂って肺いっぱいに吸い込んでしまいたいような空気が流れています。
この機械は手もみの代わりにお茶を揉みます。その動きをみているとまるで人間がやるのと同じような動きが感じられます。

その間の行程をご主人はずっと見守っています。最低5時間はかかるというこの日も午前2時までかかるということ。この季節は平均睡眠3,4時間とのことでした。

今日の最初のお茶が出来上がって落ちてきました。偶然ながら最高の場面に出会えました。
サ~~っという爽やかな音です。香りは見事な茶の香り・・
美味しいお茶の出来上がりです。
大変な作業の中で一番嬉しい時なのですね。


お茶箱に見事な新茶が詰め込まれます。このお茶は更に選別され袋詰めにされます。

また二番茶以降はペットボトルのお茶に使用されるものもあるようです。
中島園さんありがとうございました。 場所は入間市根岸です。
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by akageno-ann
| 2009-06-24 07:47
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2009年 06月 23日
見つけた・・・
カエル苦手な方はスルーしてください。
姿が見えました。
我が家のエンターテナー・・素敵なテノールです。

モリアオガエルです。
多分三年目の♂ この地はもともと自然豊かなところで森の奥や 沼などに生息していると考えられますが、この子は我が家で保護していて逃げてしまった子ではないか・・と思われます。
今月2週間ほど前の早朝庭から美しい鳴き声が聞こえました。
我が家のカエルたちと確実に呼応しているようでした。
その声の主の姿をそっと探していまして、昨日朝、夫がドウダンの木陰に見つけた。
そのままカメラに収めました。
元気に今朝も綺麗な声で早朝の我が家に訪れている。
朝食の間中それは爽やかな朝の音楽のようです。
もともとこのカエルは主人の当時在籍していた学校のプールに生みつけられた卵から孵ったものと考えられる。概ねは学校の池にもどしたが、観察用に数匹を保護していた。庭で水槽の掃除中一匹逃げたと心配していたものだ・・と夫はいう・・・
よくここに・・・夫は感動しています。
多分この庭に静かに過ごすのではないかと・・冬眠もうまくいっていたのでしょう。
可愛い顔を撮る事ができました。
我が家の庭は天敵もいますので・・私の苦手なものなので・・あえて何か?は申しませんが、
この感じで静かに過ごしていてほしいものです。
昨日から百合がきれいに咲き始めています。
カサブランカではなかったけれど・・・



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モリアオガエルです。
多分三年目の♂ この地はもともと自然豊かなところで森の奥や 沼などに生息していると考えられますが、この子は我が家で保護していて逃げてしまった子ではないか・・と思われます。
今月2週間ほど前の早朝庭から美しい鳴き声が聞こえました。
我が家のカエルたちと確実に呼応しているようでした。
その声の主の姿をそっと探していまして、昨日朝、夫がドウダンの木陰に見つけた。
そのままカメラに収めました。
元気に今朝も綺麗な声で早朝の我が家に訪れている。
朝食の間中それは爽やかな朝の音楽のようです。
もともとこのカエルは主人の当時在籍していた学校のプールに生みつけられた卵から孵ったものと考えられる。概ねは学校の池にもどしたが、観察用に数匹を保護していた。庭で水槽の掃除中一匹逃げたと心配していたものだ・・と夫はいう・・・
よくここに・・・夫は感動しています。
多分この庭に静かに過ごすのではないかと・・冬眠もうまくいっていたのでしょう。
可愛い顔を撮る事ができました。
我が家の庭は天敵もいますので・・私の苦手なものなので・・あえて何か?は申しませんが、
この感じで静かに過ごしていてほしいものです。
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| 2009-06-23 08:22
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2009年 06月 22日
ネット知らず・・
昨日半日突然ネットが繋がらなくなり、いつものリフレッシュかと思い、簡単な設定しなおしを行ったが、どうもうまくいかない。
これはNTTのサポートに電話しないといけないかな?と電話番号やら顧客IDやらを準備しつつ
「ああ・・面倒だなあ」
などと心では呟いていた。
前日に両親がこちらに出向き病院入院中の義父を見舞ってくれて80歳以上三名の様子を垣間見て、この三人は全くネットというものに手をつけず、こうして問題なく人生を送っていることにある種の憧憬を感じていた。

私なども7年ほど前に初めて我が家にiMacがやってきて、しかたなく主人の仕事の手伝いに操作を覚えたのがきっかけで、今こうしてブログなどにも手を出している。
そしてやはり繋がらない現状をなんとか打破しようともがくようになった。笑
結局昨日は電話の方のコンセントを抜いて、ワイアレスの器械もまた繋ぎ直すという作業を3度行っているうちに。復旧した。
電話サポートも毎月少しだが料金を払っているので使えば良いのだが、説明が面倒なのだ。
懇切丁寧な回答もあるが・・これもなんだか話したくない時もあったりする、年頃である・・笑

しかし、今エキサイトブログを使っている海外の友人の中に写真が見えないという状況が突然起こった方もあり、記事をアップできない環境もあると聞いている。
そういう不便な事実があると正直我々は頭が痛い。
一度繋がってしまった、ネットとの関係を断ち切られるのはちょっと不安になったりするものだ。
だが、昨日はちょっと考えた。
この先いつまでこうして書けるかわからない・・・と
と、すれば、義父たちが行っている手帳や原稿用紙への記載、日記の類も復活しておきたいと思った。
書くことを少しリハビリしておかないと、あんなに好きだった手書きの作業がいつしか苦手になったりするのだ。
かけがえのない日本の片隅から世界へ発信などと大仰なことを言っている自分がふと恥ずかしくなったりしている。
小さな発信を手書きで行うこともちょっと続けようと思って、今朝はさっそく義父への見舞いに対する礼状をしたためている。

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これはNTTのサポートに電話しないといけないかな?と電話番号やら顧客IDやらを準備しつつ
「ああ・・面倒だなあ」
などと心では呟いていた。
前日に両親がこちらに出向き病院入院中の義父を見舞ってくれて80歳以上三名の様子を垣間見て、この三人は全くネットというものに手をつけず、こうして問題なく人生を送っていることにある種の憧憬を感じていた。

私なども7年ほど前に初めて我が家にiMacがやってきて、しかたなく主人の仕事の手伝いに操作を覚えたのがきっかけで、今こうしてブログなどにも手を出している。
そしてやはり繋がらない現状をなんとか打破しようともがくようになった。笑
結局昨日は電話の方のコンセントを抜いて、ワイアレスの器械もまた繋ぎ直すという作業を3度行っているうちに。復旧した。
電話サポートも毎月少しだが料金を払っているので使えば良いのだが、説明が面倒なのだ。
懇切丁寧な回答もあるが・・これもなんだか話したくない時もあったりする、年頃である・・笑

しかし、今エキサイトブログを使っている海外の友人の中に写真が見えないという状況が突然起こった方もあり、記事をアップできない環境もあると聞いている。
そういう不便な事実があると正直我々は頭が痛い。
一度繋がってしまった、ネットとの関係を断ち切られるのはちょっと不安になったりするものだ。
だが、昨日はちょっと考えた。
この先いつまでこうして書けるかわからない・・・と
と、すれば、義父たちが行っている手帳や原稿用紙への記載、日記の類も復活しておきたいと思った。
書くことを少しリハビリしておかないと、あんなに好きだった手書きの作業がいつしか苦手になったりするのだ。
かけがえのない日本の片隅から世界へ発信などと大仰なことを言っている自分がふと恥ずかしくなったりしている。
小さな発信を手書きで行うこともちょっと続けようと思って、今朝はさっそく義父への見舞いに対する礼状をしたためている。

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| 2009-06-22 11:32
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2009年 06月 20日
ラフマニノフに寄せて 辻井氏と佐渡氏

昨日のこの写真をもう一度載せたのは、この日私は新しい発見があった。
毎日ラフマニノフのピアノコンチェルト第二番を聞いていたが、今日はそのCDをケースにしまおうとして、もう一枚DVDがあるのに気づいた・・
そうこのケースの大きさからいえばそれは当然なのに、私は懲りだすとほかのことに目が行かないことがあるので、1週間気づかぬままでいた。
その時の私の心の躍動感といったらなかった。
このコンチェルトを昨年の5月ベルリンでベルリン交響楽団と収録している風景があるというのだ。
佐渡裕氏はこの時にこの曲のあり方を辻井氏にしっかりと指導している様子が垣間見られる。
ピアノを弾いいている中にも「その上の音をしっかり、ぼやけないで・・」と佐渡氏が言えば、辻井氏はすぐに反応する。
8分♪音符の表現力やダイナミックさを言葉と体に触れることで教えている。
そして構成は見事で、練習から本番へ楽章ごとにうまく映像と音楽をつなげるのだ。
あの高名なベルリン交響楽団の団員が辻井氏を見つめる目、その感動と温かさを感じる目が印象的でもあった。
特に三楽章は辻井氏はおそらくこの楽曲だけからイメージするものが私などよりずっと深いものがあることを音と表情で表していた。
一音一音を弾く事で作曲者の思いが通じてくるのだろう。
ピアノパートだけの練習から終末へとオーケストラとの競演になると 決して引けをとらないダイナミックなピアノの音との協和が感じられて感動がず~~っと長く続く。
そしてその演奏の終演後に楽団員が皆惜しみない拍手を辻井氏に送るのだ。
「素晴らしい。よくやったね。」という風に。
そして佐渡氏との抱擁でその映像は終わる。
その時の二人のまるで親子のような親しい写真がジャケットになっているのだ。
なんと暖かな、素晴らしいCDだろうか・・
佐渡氏の意図するところをくまなく受け入れて競演しようとする姿、そこまでに育っている20歳の若者
ハンデキャップなど感じられなかった。
人間はすごい生き物だと、私ももっと頑張らないといけないと思わされた。
ラフマニノフも若い時の作品だというから、この若き才能豊かな辻井氏の演奏をまた天上で祝福しているとつくづくと感じた。

ふと昨年知人宅に聳えるように花開いた皇帝ダリアを思い出した。

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by akageno-ann
| 2009-06-20 00:20
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2009年 06月 18日
逢びき デビットリーンに寄せて
辻井伸行さんのラフマニノフのCDピアノコンチェルト第二番を楽しんで聞いている。

指揮者佐渡裕さんとの素晴らしい協演!
この曲を聞くと古いイギリス映画 デビットリーン監督の 「逢びき」原題はBrief Encounter のことを語りたくなる。
悲恋というよりはこの映画は束の間の不倫物語。
1945年というから第二次世界大戦直後にこの映画は作られたのか。
私が最初に見たのはおそらくそれから20年以上の後だと思うが、まだ中学生か高校生の多感な時期に
淀川長治さん解説のの「日曜洋画劇場」での視聴であった。
まだ不倫という言葉が一般的でなかった頃、この男女の逢びきは不道徳なことというよりも美しく哀しい夫婦物語のように感じたのも自分がまだ純粋だったころだったかもしれない。
デビットリーン監督は戦地の兵士に見せた時の反応を不服としたらしい。
つまり不完全燃焼の恋愛ものだという印象だったのだ。
しかしこの作品もやがて名作といわれるようになる。
英国の女優シリア・ジョンソンが演じる平凡な人妻ローラが本当に心の迷いを感じながらもトレバーハワード演じるところのアレックに惹かれて逢引きを重ねるのだが、やはり一線を越えることなく家庭に戻っていくのだ。
そのときに今で新聞を読みながら夫(シリル レイモンド)が「お帰り、遠くに行っていたんだね」と静かに語るラストが印象に残った。
そのシリルレイモンドの優しい演技が心に沁みた。
この映画のBGMとしてのラフマニノフのこの曲、若い私の心には妖艶なイメージに植えつけられた。
ラフマニノフという作家とデビットリーン監督が重なってしまったかのように・・
当時アシュケナージのレコードを持っていた。
そうレコード・・B面はたしかグリークのコンチェルトだった。
今こうして平凡な主婦としての生活で、音楽に恋して映像を思い起こし想像をすることは可能だが、現実としてはあのように美しい映像にはならないことも知っている。
半世紀も前の映像が今もまた音楽と共に蘇ったときにデビットリーンの意図する夫婦のあり方一人の主婦の姿を理想のように描いていたことに気づかされた。
そのモノクロの映画は「陽のあたる場所」「禁じられた遊び」「旅情」「旅愁」と古い映画を次々と思い出させた。

二つの写真はアマゾンの映像より拝借しました

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悲恋というよりはこの映画は束の間の不倫物語。
1945年というから第二次世界大戦直後にこの映画は作られたのか。
私が最初に見たのはおそらくそれから20年以上の後だと思うが、まだ中学生か高校生の多感な時期に
淀川長治さん解説のの「日曜洋画劇場」での視聴であった。
まだ不倫という言葉が一般的でなかった頃、この男女の逢びきは不道徳なことというよりも美しく哀しい夫婦物語のように感じたのも自分がまだ純粋だったころだったかもしれない。
デビットリーン監督は戦地の兵士に見せた時の反応を不服としたらしい。
つまり不完全燃焼の恋愛ものだという印象だったのだ。
しかしこの作品もやがて名作といわれるようになる。
英国の女優シリア・ジョンソンが演じる平凡な人妻ローラが本当に心の迷いを感じながらもトレバーハワード演じるところのアレックに惹かれて逢引きを重ねるのだが、やはり一線を越えることなく家庭に戻っていくのだ。
そのときに今で新聞を読みながら夫(シリル レイモンド)が「お帰り、遠くに行っていたんだね」と静かに語るラストが印象に残った。
そのシリルレイモンドの優しい演技が心に沁みた。
この映画のBGMとしてのラフマニノフのこの曲、若い私の心には妖艶なイメージに植えつけられた。
ラフマニノフという作家とデビットリーン監督が重なってしまったかのように・・
当時アシュケナージのレコードを持っていた。
そうレコード・・B面はたしかグリークのコンチェルトだった。
今こうして平凡な主婦としての生活で、音楽に恋して映像を思い起こし想像をすることは可能だが、現実としてはあのように美しい映像にはならないことも知っている。
半世紀も前の映像が今もまた音楽と共に蘇ったときにデビットリーンの意図する夫婦のあり方一人の主婦の姿を理想のように描いていたことに気づかされた。
そのモノクロの映画は「陽のあたる場所」「禁じられた遊び」「旅情」「旅愁」と古い映画を次々と思い出させた。

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by akageno-ann
| 2009-06-18 11:46
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2009年 06月 16日
一枚の写真
私はどうもピアノを弾く人に対する憧憬がとても強いようだ。
昔子供の頃まだ家にはおもちゃのピアノしかなかった時代に小学校の廊下にあるオルガンで友人が弾くブルグミュラーの小品やエリーゼのためになど聞き覚えで弾いていたので、もしも・・あのときに良い指導者にめぐり合えていたら・・という思いがある。
しかし私が師に出会えたのは中学の2年生になったときだった。
自分にとってそれは遅い出会いだった。
あの子供の頃の聞き覚える感覚が大分削げてしまっていたのを感じた。
それでもソナチネやソナタを丁寧に習って高校2年生まで続けた。
音大の学生だったその師は遠くへ嫁ぐことになったのだ。
その師を一昨年、30年ぶりに訪ねた。
美しい人はそのまま初老の婦人になって私を抱きしめてくれた。
大病もされて、生きて会えたことに感動してくれたのだ。
せめて続いていた賀状の交換のお陰だった。
新幹線で名古屋を訪れた。
しかし考えてみると彼女と私は10歳も離れていなかった。
だから互いはすぐにわかることができた。
名古屋の郊外で彼女は今もピアノを弾く生活をしている。
友人と小さな連弾のコンサートも開かれたとおっしゃっていた。
私にとって美しい姉のようなその師はそのままの姿で私の前に現れてくれた。
今回のバン クライバーンコンクールの辻井氏の快挙のこともまたお話したい、そう思って
この夏はできたら、また名古屋へ押しかけてみようか・・と思っている。
モーツァルトの連弾の練習をしておこうか・・と思った。
しばらく練習をやめてしまったので・・また最初から時間をかけて・・
そして私はウイーンの友人を訪ねたとき、やはりピアノを弾く彼女とある日本人経営のレストランで
梯(かけはし) 剛之(たけし)氏に偶然出会うという好機を得たことがあった。
母上とご一緒でとても気さくに会話させていただいた。
その時の写真を探しているが、まだみつからない・・・・・
今回辻井伸行さんはお母さんに連れられて幼い日に梯さんを訪ねられたという。
同じ全盲でピアニストの梯さんに光を求めて・・
昨日ニュースの特集で今も母上とウイーン滞在の31歳になられた梯氏が優しい面差しでその頃の思い出話をされた。
人々はこうして出会いを大切にして進んでいるのだ、ということを改めて感じた。
梯氏の演奏も二度コンサートに出かけて聞いている。
美しい音は独特な響きをもっている。彼のショパンの夜想曲は特に好きだ。
梯氏の公式ホームページにリンクさせていただいた。

欧州の街角のレストランでこんな風に年をとりたいと思って撮った写真をみつけた。

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昔子供の頃まだ家にはおもちゃのピアノしかなかった時代に小学校の廊下にあるオルガンで友人が弾くブルグミュラーの小品やエリーゼのためになど聞き覚えで弾いていたので、もしも・・あのときに良い指導者にめぐり合えていたら・・という思いがある。
しかし私が師に出会えたのは中学の2年生になったときだった。
自分にとってそれは遅い出会いだった。
あの子供の頃の聞き覚える感覚が大分削げてしまっていたのを感じた。
それでもソナチネやソナタを丁寧に習って高校2年生まで続けた。
音大の学生だったその師は遠くへ嫁ぐことになったのだ。
その師を一昨年、30年ぶりに訪ねた。
美しい人はそのまま初老の婦人になって私を抱きしめてくれた。
大病もされて、生きて会えたことに感動してくれたのだ。
せめて続いていた賀状の交換のお陰だった。
新幹線で名古屋を訪れた。
しかし考えてみると彼女と私は10歳も離れていなかった。
だから互いはすぐにわかることができた。
名古屋の郊外で彼女は今もピアノを弾く生活をしている。
友人と小さな連弾のコンサートも開かれたとおっしゃっていた。
私にとって美しい姉のようなその師はそのままの姿で私の前に現れてくれた。
今回のバン クライバーンコンクールの辻井氏の快挙のこともまたお話したい、そう思って
この夏はできたら、また名古屋へ押しかけてみようか・・と思っている。
モーツァルトの連弾の練習をしておこうか・・と思った。
しばらく練習をやめてしまったので・・また最初から時間をかけて・・
そして私はウイーンの友人を訪ねたとき、やはりピアノを弾く彼女とある日本人経営のレストランで
梯(かけはし) 剛之(たけし)氏に偶然出会うという好機を得たことがあった。
母上とご一緒でとても気さくに会話させていただいた。
その時の写真を探しているが、まだみつからない・・・・・
今回辻井伸行さんはお母さんに連れられて幼い日に梯さんを訪ねられたという。
同じ全盲でピアニストの梯さんに光を求めて・・
昨日ニュースの特集で今も母上とウイーン滞在の31歳になられた梯氏が優しい面差しでその頃の思い出話をされた。
人々はこうして出会いを大切にして進んでいるのだ、ということを改めて感じた。
梯氏の演奏も二度コンサートに出かけて聞いている。
美しい音は独特な響きをもっている。彼のショパンの夜想曲は特に好きだ。
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| 2009-06-16 16:53
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2009年 06月 12日
心の目で・・・・
辻井伸行氏21才
この名前が先日世界を駆け巡った。
第13回バン・クライバンーン国際ピアノコンサートの優勝者←Youtubeへ
日本人では初の快挙だということだ。
今から遡ること24年 1985年 第11回ショパンコンクールの優勝者は
ロシアの19歳の新鋭 スタニフラフ ブーニン氏
当時30歳そこそこだった私は 所謂彼の奏でるピアノ 特にショパンの作品にはまった。
様々な批評がとびかったが、小気味よいほどの速いテンポで楽しげに弾きまくるような印象のショパン
あまりそれまでピアノ曲に関心を示さなかった主人までもNHK特集での彼の演奏を最後まで聞いていた。
特にポロネーズ そしてピアノ協奏曲第1番は当時のカセットテープが擦り切れるほど聞いた。
ほんの少しかじっていたピアノもあの頃が一番練習したかもしれない

それから25年 新たなるピアノの新星が日本に舞い降りた。
辻井伸行氏
「彼の指に目がある」と言ったのは師匠である上野学園教授の横山幸雄氏だ。
全盲であるということは彼にとって音楽になんら支障がない、そう思った。
むしろ彼の音楽性はそれゆえに優れているといってもいいと思える。
神に与えられたその才能。
そう私の大好きなピアニストで指揮者の ウオルフガング サバリッシュは「音楽に愛された人」と言われた。
おそらくピアノの神は辻井伸行その人に全ての音を託したのではないかと思われる。
昨日から何度も聞いてしまうこの曲 彼は全てのものを心の目で見ると言った。
実際に見ているよりも繊細にその感覚を捉えていると感じた。↓
川のささやき←Youtubeへ
彼は子供の頃 ショパンの曲はブーニンのCDを擦り切れる(というのかどうか?)まで聞いて学んだという。
ショパンはブーニンのピアノのタッチが好きだという。その頃の演奏は☆←Youtubeへ
スティービー ワンダーを尊敬し 井上陽水の「少年時代」や氷川きよしの「ズンどこ節」を歌うという彼の幅広いレパートリーに限りない世界を感じてしまった。
偏りがない・・・
ミーハーな感覚で彼のニュースに飛びついている私である。
CDはさっそく手に入れた。
あの音はなんだろう。
かつてブーニンのピアノに感動して必死でコンサートに行った頃を思い出し、久しぶりに追っかけたい素敵なピアノの音に出会えた感動に浸っている。
また少しピアノの蓋を開ける日が続いている・・・・

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現代小説と、エッセー随筆にエントリーさせていただきました。
どうぞよろしくお願いします。
以前の小説をお読みいただけるという声をいただいて・・入り口を設けました。
「アンのように生きる」の小説は・・こちらから
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今から遡ること24年 1985年 第11回ショパンコンクールの優勝者は
ロシアの19歳の新鋭 スタニフラフ ブーニン氏
当時30歳そこそこだった私は 所謂彼の奏でるピアノ 特にショパンの作品にはまった。
様々な批評がとびかったが、小気味よいほどの速いテンポで楽しげに弾きまくるような印象のショパン
あまりそれまでピアノ曲に関心を示さなかった主人までもNHK特集での彼の演奏を最後まで聞いていた。
特にポロネーズ そしてピアノ協奏曲第1番は当時のカセットテープが擦り切れるほど聞いた。
ほんの少しかじっていたピアノもあの頃が一番練習したかもしれない

それから25年 新たなるピアノの新星が日本に舞い降りた。
辻井伸行氏
「彼の指に目がある」と言ったのは師匠である上野学園教授の横山幸雄氏だ。
全盲であるということは彼にとって音楽になんら支障がない、そう思った。
むしろ彼の音楽性はそれゆえに優れているといってもいいと思える。
神に与えられたその才能。
そう私の大好きなピアニストで指揮者の ウオルフガング サバリッシュは「音楽に愛された人」と言われた。
おそらくピアノの神は辻井伸行その人に全ての音を託したのではないかと思われる。
昨日から何度も聞いてしまうこの曲 彼は全てのものを心の目で見ると言った。
実際に見ているよりも繊細にその感覚を捉えていると感じた。↓
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彼は子供の頃 ショパンの曲はブーニンのCDを擦り切れる(というのかどうか?)まで聞いて学んだという。
ショパンはブーニンのピアノのタッチが好きだという。その頃の演奏は☆←Youtubeへ
スティービー ワンダーを尊敬し 井上陽水の「少年時代」や氷川きよしの「ズンどこ節」を歌うという彼の幅広いレパートリーに限りない世界を感じてしまった。
偏りがない・・・
ミーハーな感覚で彼のニュースに飛びついている私である。
CDはさっそく手に入れた。
あの音はなんだろう。
かつてブーニンのピアノに感動して必死でコンサートに行った頃を思い出し、久しぶりに追っかけたい素敵なピアノの音に出会えた感動に浸っている。
また少しピアノの蓋を開ける日が続いている・・・・

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by akageno-ann
| 2009-06-12 23:26
| エッセ-
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Comments(11)