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恋心はパリに遺して

第118話

昨日までのあらすじ
怜子と美沙はインドのデリーで同じ日本人学校教諭の妻同士として出逢った。
怜子は癌に侵された体であったが、快方に向かいデリーでの暮らしを続けている。
1年あとから赴任した美沙は怜子と「赤毛のアン」の愛読者であることから意気投合し
二人のデリーで生活は互いを支えあいながら進めている。

今二夫婦は記念に欧州旅行中、最後の滞在地パリにいる。
美沙がふと起こした怜子の夫北川氏への恋慕に気づき、戸惑ってしまう。

本文

サントシャペルは午後の比較的遅い時間であったが長い列があった。
ここはパリの最高裁判所で、その本来の場所に行く人たちも共に並んでいるらしかった。

実際にサントシャペル寺院にはいると、静かで人も疎らであった。
ここはまだ団体の観光客のルートになっていなかったのが、この静寂を保っている所以であろうと思われた。

蝋燭の仄かな光だけでこの午後の教会のステンドグラスはここを初めて訪れる人々に言葉を失わせる。

バラ窓・・などとそこだけに焦点を置いてここを紹介する日本の旅行ガイドブックだけの知識しかなかった美沙は、
ここの教会のドームの尖塔から流れるような光の交差によって織り成される万華鏡の中に
すっぽりと入ってしまったような錯覚に陥っていた。

このような神聖な場所で、ふと気づかされた恋かもしれぬ北川への思いは、
ここでグサッと打ち消されるべきものだと感じたほどだ。

北川は、許されているフラッシュのない写真を撮ることに心を奪われているようだった。

美沙は、両手に多くの荷物をもっていたことも忘れて、バラ窓だけでなく、
この教会の全体の厳かなガラスの色彩の中から生まれる繊細な光を一つでも多くしっかりと
心に焼き付けておこうと必至で上を向いていた。

「美沙さん、荷物この椅子において、そんな格好で見ていたら疲れるよ。」
小声で気遣ってくれる北川の言葉に、そっけなく応じて、荷物を置いた。

静かに祈りを捧げる上品な初老の夫人、その孫かと思われるような小さな女の子も
佇んでいる。

観光で来ている人々も皆この静粛な雰囲気を壊すことはない。

案内人も顔を繕うことなく黙って見守っていた。

それほど広くはないこの内部をゆっくり歩いて、北川と美沙はこの風景を見ることはもう二度とないのかもしれない、
という不思議な思いにそれぞれがかられて、名残り惜しそうに外へ出た。

しばらくは互いに言葉を交わさなかったが、北川がやはり声をかけた。

「いやあすばらしかったね、しかし疲れたな、さすがに。そこのセーヌ川沿いにいくと
カフェ・ジメールがあるはずだから、写真撮りたいのでつきあってね。」

美沙とまるで兄妹のような雰囲気に話すので、美沙もほっとしていた。

カフェは言われた通りそこにあって、天井画がフレスコ画になっているような重厚な、それでいて
どこか馴染める、外にももちろんテーブルのある店だった。

二人は外側に腰をおろし、ギャルソンにコーヒーを頼んだ。

「北川先生はパリに詳しいんですね。」
美沙はここではじめて心が落ち着いた。
多分何かこのパリという場所が感覚を異常にさせるのだ、と理解でした。

「いや家内の方が詳しいよ。あの人は家が神道なのにキリスト教をよく勉強してすごく憧れているんだ。
病気になってからは、本当は改宗したいという気持ちもあるらしい。」

そうなのだ、そのことは美沙も怜子から聞いたことがあった。

「美沙さん、僕は貴方に改めてお願いしたいことがあるんです。」

美沙はまた鼓動が強くなった。

「怜子のことだけど、貴方は彼女の体は良くなっていると思う?」

唐突な質問だった。

「え?あの・・・良くなられてると思いますけど、違いますか?」

慌てて答えた。

「いや、良くなってはいると思うんだ。しかし実際はいつ再発するかわからない。
そこのところで彼女は僕に気兼ねしてやせ我慢するから、どうか異変を感じたら知らせてほしい。
こんなこと頼んで申し訳ないけど、彼女も僕も貴方を信頼しています。」

美沙は心を打たれた。

「はい、先生。わかりました。気をつけますね。」

美沙はにこやかに承諾していた。

「貴方たちが近くに引っ越してきてくれて、僕たちは本当にありがたかったよ。
君はまことに繊細なのに、さりげない心配りのできる人だ・・って家内と話してるんだ。」

美沙はこんな何気ない誉め言葉を素直に受け取ることにした。

自分の愚かさに気づきながら、学生時代の少ない恋愛経験のせいだと、
心の中で笑い、自分の中にあったつまらぬ思いを押し込めていた。

                             この項 終わり。お粗末様でした。
                                       
恋心はパリに遺して_c0155326_232036.jpgオルセー美術館のモネの「日傘の女」















# by akageno-ann | 2008-03-27 23:23 | 小説 | Comments(15)

ある共感・・・・・パリ最後の日

第117話

旅を三週間も続けるというのは体力も精神力もかなりいるものだと、北川は妻の怜子を少しホテルに休ませて、デリーに戻るためにKという日本風な名前の日本食材店に寄っていた。

それほど品数が豊富というわけではないが、飛行機の超過料金を考えるとそんなに贅沢もできず、ハウスの本豆腐の素や乾燥若布、だしの素、焼き海苔、ふりかけなど自分の昼食の弁当を思い浮かべつつ買い物をしていた。

「いらっしゃい。」
店主は女性で気さくな挨拶で新しい客を招きいれた。

「北川先生。」

びっくりした声で入り口に立っていたのは美沙だったのだ。

まあ、デリーに帰る日本人が最後に立ち寄るとしたらこの店はありきたりな場所だといえば
ここで二人が遭遇するのは決して不思議なことではない。

だが美沙はひどく狼狽していた。

美沙の中にはこの2日間、いやデリーに来てからの日々、夫翔一郎以外で一番日常に出会い会話をしてきたのは、怜子の夫北川であった。

教師としても卒がなく、日本人会でも役員を勤めていたので人当たりが誠に良い。
妻を重い病で日本に帰したことがさらに人間性を高めることになったのだ、とは怜子自身の言葉だった。

美沙たち夫妻をまるで弟夫婦のように親しく扱い、それでいて学校や様々な会ではきちんとした一線を踏まえて親しげな態度は取らず、美沙にしてみれば、自分と比べても随分と大人の北川と触れ合ってきた。

翔一郎の向きになって仕事する態度も、インドを好きになれず苦しむことも全て知った上で
「片山先生は、貴方らしくやっていけばいいんですよ。」
と、様々な場で盛り立ててくれてきた。

この旅もこうして二組が所々で落ち合って食事したり観光したり、いつも妻怜子の体を気遣い、4人の会話にさりげなく気を使うこの男に知らずある種の憧れを感じてしまった美沙がいたのだ。

美沙はこの日もう一度買い物をしておきたい、と少しのんびり休んでいたそうな翔一郎をホテルに残してここへ赴いたのだ。

北川は美沙の買い物が済むのを待って、にこやかに彼女をエスコートするようにその店を出た。

「美沙さん、これからどういう予定?」

「別に予定はないのです。主人はゆっくり寝ていたいようですし。怜子さんは?」

美沙は別のホテルで怜子も休んでいるのはわかっていたが、わざとしらばくれて
そんな質問を投げかけた。

それには北川は答えることもなく、

「それじゃあ、折角ここであったんだから、少し観光しようよ。荷物は重くないかい?」

「えぇ、大丈夫ですけど・・」

その申し出にぶっきらぼうに美沙は応じた。

「実はね、僕は前からみたかったシテ島のサントシャペルの・・」

「バラ窓・・ですね」          

ある共感・・・・・パリ最後の日_c0155326_22483928.jpg美沙は思わず口をはさんでしまった。

「そうだよ。もう見たの?」

「いいえ、行ってみたかったけど、場所がよくわからないし。」

「そう、じゃあそこへ行ってみよう。あれは世界最古のステンドグラス群の一つだといわれてるんだ。最高裁判所の中の教会っていうところが、さすがヨーロッパだね。」

美沙は本当は単に案内書を読んだだけの知識で、なんとなくみてみたいな、と思った程度のものだった。しかし、こうして偶然出逢った北川が案内してくれるということに心を高鳴らせた。

つづく


                                           




# by akageno-ann | 2008-03-26 22:52 | 小説 | Comments(15)

インド帰国まで4日  パリにて

あらすじと物語の周辺
インドで出逢った、美沙と怜子は年齢の差を越えて意気投合し、日本人学校の教員夫人として駐在生活を続けていた。
二人の共通点は『赤毛のアン』の熱心な読者であったことと、高知出身の怜子、夫の母親が高知出身の美沙、そして何より、デリーで一番のご近所同士だった。
8歳ほど下の美沙を可愛らしい後輩として面倒をみる怜子は子宮癌を患いながらも果敢に病気と戦って、1年をデリーで過ごし、次第に元気を取り戻しつつあった。

美沙はそんな怜子の心の支えになり、また彼女自身を慕って朝な夕なを共に過ごしていた。
怜子は最後のデリーの猛暑の夏を、美沙には2年目の夏休みを共にヨーロッパに渡って
避暑をしながらエネルギーを貯えていた。

それぞれに各国を回り、最後はパリで落ち合ってともにデリーへ帰国する予定であった。


本文

先にパリに入っていた北川怜子たち夫妻は6月のパリがかなり気温が低いので、体調のために
南仏ニースへ入っていた。そこで3日をすごして再びパリへもどろうとしていた。

美沙たちはマドリッドからパリに入り、怜子たちの滞在先のホテルを訪ねた。
そこに間もなくニースから戻る予定で部屋が予約されていることを聞いた。

同じホテルに部屋がその日はあるというので、美沙たちも1泊をそのホテルにした。
翌日怜子たちが帰ってきたら別のホテルを探して移動すればよいのだ。

感じのいい瀟洒なホテルで美沙は大変気に入っていた。
パリのオペラ通りを一つ外れた道沿いにあって、生活観のある店も並び、とはいえ
その店も美しいショーウインドの飾りつけがなされ、これがパリというものか、と美沙は
感動していた。

学生の頃に一度観光でやってきたときと違って、インドから入ったパリの雰囲気は建物や聞こえてくるフランス語に至るまで先進国である上に古い歴史とヨーロッパに脈々と流れるキリスト教という宗教による影響も何故か憧れのものに感じてしまうのは何なのか・・・

答えを出すことはできないでいた。
ただここに三泊した後 美沙たちはデリーに帰って暑い夏の残りの何ヶ月かを過ごさなくてはならないのだ、ということは確かだった。

この季節はこのあたりは日が長くなる頃で 夜も遅くまで開放的な気持ちになれた。

エッフェル塔は昼間の繊細なレース模様のような金属の姿から夕暮れはセーヌ川のほとりに佇む眩い光のモニュメントに変貌し、おりから乗っていたバトームーシュという遊覧船の美沙の心をしっかりと包みこんでいた。

だからといって、ここを離れたくない、という思いではなく、ここでの美しい日々を心に刻んで我家であるデリーに帰っていくのだ、という思いを確実に持っていた。

ここまで気楽なご当地の店に入り、なんでも美味しく食べていた美沙たち夫婦だったが、ここでは案内書にあった、セーヌ川沿いにある日系のホテルの和食レストランでしゃぶしゃぶや、寿司や天麩羅という贅沢な日本料理を心置きなく食べながら、今度はそこから眺める美しい電飾の光に包まれた、遊覧船を眺めて感動の声をあげてしまっていた。

「しかし、今回の旅で、インドに決まったことをかなり受け入れられたよ。まあここでも俺なんかフランス語のできないものはもっと別な生活の中のジレンマを感じるのかもしれないなあ。」
翔一郎は久しぶりの日本酒に酔って語っていた。

フランス語の壁はかなり厚いと感じることが多々あり、この日も洗濯屋で美沙がかたことのフランス語で3日後までに夫のズボンのクリーニングを頼んだら、店主に巻くし立てられてしまった。

不安になり 近くを通りかかったフランス人の夫と歩いていた日本人女性に確認してもらったり、老舗のデパートで年配の店員に英語を敬遠されたりと、生活の中で仏語のできないことに大きな劣等感をもつような錯覚にも陥ったのだ。

だが美沙は、言いようもなくこの都市パリへの憧れを強めてしまっていた。
インドを受け入れた夫のことは嬉しく認められても、もしここで同じ3年を過ごすことになったら、と思いを馳せることくらいは、今この短い滞在の中では許される、と 一人心の中にしまいこんでいた。    
 つづく
インド帰国まで4日  パリにて_c0155326_20124126.jpg



「annと小夏とインド」
小夏にも会ってインド帰国まで4日  パリにて_c0155326_20193416.jpgやってね・・

# by akageno-ann | 2008-03-25 18:47 | 小説 | Comments(19)

小休止・・・愛しき日々に

いつもこの小説ブログ 『アンのように生きる(インドにて)』を声援してくださいまして
ありがとうございます。

小休止・・・愛しき日々に_c0155326_2073534.jpg


お陰さまで小説ブログは30位までまいりました。
インド情報は1位をいただいてますので、お話もそろそろ
インドに戻りたく思っています。

以前ちょっとした同人誌を編んでいまして、ちょこちょこ思い出エッセーを書いていましたが
このブログを知ってから自分の中に残っていた様々な思いが物語りになって心に落ちてきました。デリーで知り合った友人を二人亡くしています。

彼女たちの思いは『デリーを十分に楽しんだ』とわかります。
日本のあちらこちらに住んでいて、わざわざデリーまで来て出逢ったこと、
親交を深めたことは人生の中に大きな影響をもたらしてくれました。

こうして書いてみますと、生活の一つ一つ、旅の一つ一つが愛おしく思い出されます。
そうしますと、あの頃に彼女たちの語った言葉も思い出され、大切に記しておきたいと
思うのです。

皆さんの暖かいコメント、ときにはご自身の思いと重ねていただいて、楽しく読んでくださって
いるのだということが感じられ、殆どお会いしたことのない人々との交流ですのに、同人誌のようで楽しいです。

今日はもう一つ私のブログを紹介させてください。

たくさんのブロガーの仲間に入れていただいているうちに、小説とは違う、私の『犬のいる生活』で我家のお転婆柴犬小夏を紹介したくなりました。小休止・・・愛しき日々に_c0155326_2016432.jpg

リンクもいたしますが、今日はここから是非覗いてみてください。
「annと小夏とインド」

のんびり楽しく書いていきたいとおもっています。
どうぞよろしく願いします。

今夜はリンクされた友人ブログを伺い楽しませていただく予定です。

今日も図々しく、一つ応援にクリックおねがいします。Illustrated by my husband
にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
小説の中の現代小説ブログはトップ3にいさせていただいてます。
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この小説「アンのように生きる」の冒頭は・・こちらへ

# by akageno-ann | 2008-03-23 20:18 | 番外編 | Comments(29)

ウイーン我が夢の街

これまでのあらすじ
(お陰さまで100話を越えてたくさんの方に読んでいただける幸せを感じています。)
☆片山美沙は東京の中学校教員であったが、夫翔一郎の在外教育施設派遣教員のインドニューデリー赴任に伴い、退職して未知の国での生活を始めた。異文化の中で手探りながらも次第にその中にある日本とは別の魅力を感じながらサーバントとの日常を過ごしている。夫の同僚の妻高知から派遣されていた北川怜子(さとこ)と思いがけない息投合を得て、二年目に突入したデリーの暮らしが広がりつつある。怜子は1年先に赴任していたが子宮癌を患い手術を日本で受けて、闘病しながらもデリーの暮らしに戻ってきた。美沙は赴任早々早期流産という辛い体験をするが、怜子と互いに支えあいながらデリー生活を前向きに進めている。
デリーの風物詩を織り交ぜながら、健康管理休暇ではインド国外に出て文字通りデリーの厳しい暑さの避暑を兼ねて様々な見聞を広めることに余念がない。
ただ今は怜子と美沙は共に欧州へ出て、折々に待ち合わせて互いの旅の無事を確認しながらそれぞれのヨーロッパ旅行を続けている。☆
(これからもどうぞ声援よろしくお願いします。)by ann

・・・・本文・・・・
「いやああ・・にいちゅうねえ」ウイーン我が夢の街_c0155326_1843589.jpgウイーンに着いた怜子はその町の市電を見て、故郷の高知の町に似ている、と
思わず夫の北川に向かって土佐弁で叫んだ。

ヨーロッパでいきなり故郷を彷彿とさせられるとは夢にも思っていなかったが
さっそく二人はその市電にのってみることにした。
一つ一つの駅との区間が短くて、しかも市内の様々な名所の前に駅があるところなど
高知の土佐電鉄・・とでん・・とそっくりなのである。

この電車の優れているのは、駅に着くとホーム側に傾斜して、お年寄りや体の不自由な人がステップなしで乗れるよう巧妙な工夫がされていることだった。

少し疲れの出てきていた怜子にはありがたい優しい配慮で、この町が一目で好きになってしまった。メイン通りにはひしめき合うように中世の建造物と音楽関係者の記念館、そこにバスと車とこの市電、そして美しい馬車が整然と走っているのだ。

インドはまた混然と様々な乗り物が走っているな、とそのこともふと思い出された。

オペラ座の界隈にはシュテファン寺院の尖塔も見え、その下の町並みに有名なドブリンガーの楽譜屋がある。
今にもかつての大作曲家や楽器奏者が楽器と楽譜を抱えて現れそうであった。

他愛もないことと夫に笑われながらも怜子が最初にしたかったことはホテルザッハであの生クリームのいっぱい添えられた、ザッハトルテでお茶をすることだった。

ザッハトルテはホテルザッハのケーキ職人の考案したチョコレートケーキだが、その歴史は長いヨーロッパの時代が反映されている。

あの「会議は踊る、されど進まず」という言葉を輩出したウイーン会議・・それはフランス革命やナポレオンの戦争の終結によって、ここウイーンでヨーロッパの党首が集まって領地の分割のことなど難しい内容の会議をし、その際にこのケーキも出されたという。

「会議は踊る」という古い映画も怜子は観ていた。


そこから北川夫妻はウイーンにある日本大使館を訪ねた。インド1年目に北川が日本人学校で担任をした家族がその後ここに赴任したと連絡があった。

父親は大使館の一等書記官で、ドイツ語の堪能な感じの良い人であった。
夫人は大変学校に協力的な人で、インドでもこのオーストリィでも家族のために頑張っていた。

言われていたとおり、その人を大使館に訪ねると

「ようこそいらしてくださいました。懐かしいですネエ、北川先生。
デリーでは本当にお世話になりました。」

「いやあこのきままな旅で申し訳ないので、ちょっとご挨拶だけと思いまして。」

と、北川も恐縮して訪ねたのだ。

「何をおっしゃいます、大体この日をお便りでお知らせいただいていたので家族はスタンバイしてますよ。今日は夕食をご一緒しましょう。我家でささやかですが和食を差し上げます。」

「いえいえそんな食事は結構ですよ。」

「大丈夫です。北川先生、インドよりここが和食に恵まれているということはないのですよ。
ドイツからだと殆ど和食にはありついていないでしょう。たいしたことはいたしませんよ。でも相変わらず日本から送ってもらったり、家内は工夫して和食をこしらえてます。インドの暮らしはここでも大変役立っているのですよ。」
そう、にこやかに誘われた。

「そうですか・・ではお言葉に甘えます。」

北川もそう、告げてから その人の仕事の終業時間まで2時間ほどあったので、夫妻は市内を歩くことにした。
どこからか音楽が流れ出るような、重厚で明るい町という印象のウイーン。
シュテファン寺院の前ではオペラ魔笛の扮装でコンサートの案内を配布していた。
2時間という時間はこのこじんまりした町では十分な見学時間であった。

ウイーン我が夢の街_c0155326_20174056.jpg                       
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怜子はウイーンに入りました。
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                          インドの町を久しぶりに思い出してください。。

# by akageno-ann | 2008-03-18 20:29 | 小説