いつもこの『アンのように生きる (インドにて)』をお読みいただき本当にありがとうございます。
私は20年ほど前にデリーというところで三年間暮らしました。
そこを拠点に当時のインド国内を旅したり、周辺国に健康管理休暇などと称して出かけたり、休暇でヨーロッパに出たりする機会を得ました。
半世紀以上を生きてきた中で、振り返るとインド前、インド後では自分の意識がかなりの範囲で変化していることに気づきました。
今までにいくつかインドの暮らしのエッセーは書きましたが、最近様々な思いが胸の中に過ぎっては消えずにそのままそこで、渦巻くようになりました。
書き始めると、どんどんその内容は膨らんでいって、完全な作り事ではないけれど、インドに赤毛のアンのような性格の人間が住んでいたら・・・という思いで綴っています。
主人公は美沙ですがその友人の怜子(さとこ)の生き方も主軸になっています。
暑いデリーの暮らしの中で私にとって日々励ましになったのが、アンシリーズの本たち。
インドの教則本になってくれたのが、妹尾河童氏の『河童の覗いたインド』(1985年新潮社刊)という単行本でした。
オレンジ色のカッパさん直筆風の活字印刷でない、まことに風合いのある本で、細やかなインドの暮らしや、遺跡、ホテル内の詳しい説明までイラストつきでかかれています。
後にも先にもこの本一冊で私はインド通になれると今も信じています。
私の父と同い年の河童さんですが、インドに対する興味と探究心は少年のようで、たった通産三ヶ月の旅の記録が・・インドをここまで我々に知らせてくれたのか・・と未だに驚きます。
インドをお知りになりたい方でまだ読んでいらっしゃらない方には必見の本だと思います。
文庫も出ているようですが、あまりに詳しい絵が見にくくなりますから、単行本をお奨めします。
私はデリーの暮らしの中で初めてサリーを着たときもこの本が参考になりました。
細やかなイラストがサリーをうまく着せてくれました。
今日は久しぶりにその本を読んでいます。まだなお新しい発見があり、わくわくしました。
これからまた訪れたい場所もあります。
今夜はもう少し私の独り言のようなこの記事にお付き合いいただこうかと・・思っています。
妹尾河童さんは昭和5年生まれでいらっしゃるから、今は喜寿77歳ですが、きっとお元気に活躍されていると思います。この方がこのインドを訪れたときが多分40代後半、そして連載を通して7年の歳月をかけて完成されています。
インドのことをここまで詳細にイラストで紹介するにはそれほどの時間がかかるというのもうなづけます。
単純にインドは混沌とした悠久な・・という言葉でよく形容さえますが、いったいどんな国なのかイメージは私にはわきません。
写真で広大な土地にタージマハールが聳えていて夕日が輝いていたりするのを見れば、そんな気もしますが、実際はもっと細かいところに目がいきますし、人々との触れ合いもはじめは楽しくても次第に面倒だったり、怒りがわいてきたり、でも結局可笑しくなったりするのです。
ここで鍛えられた精神はその後の様々な旅で役に立ちました。
今ふっと思い出したのは旅行で行った、スペインのマドリッドでした。
空港からタクシーでマドリッドの中心まで行きました。
初めてのスペインでしたし、スペイン語はまったくダメです。
しかし、まくしたてるタクシー運転手と同様にメーターの方もカチャカチャとあがって、案内書に書いてあった値段の二倍以上になってました。
そこで、私は言いました。
「あなたね、なに言ってるの、バカにしないで、日本からの観光客じゃないのよ!インドから来てるのよ!」と英語で・・いつの間に英語で喧嘩腰になる自分になっていたのか・・と自分でも驚きましたが、『ノン・ノン』しか言わない、彼に頭にきて、ちょうど通りかかったステキな中年紳士に
『援けていただきたい、不当な料金を言われました。』
と、お願いすると、彼は気持ちよく交渉に加わってくださり、運転手はあっさり半額にまけました。
主人は、「君の剣幕に驚いたのだろう・・』と、言いましたが、その紳士は
「こんなことでこの国を嫌いにならないで、いい旅をしてね。」と言ってくれました。
私はめちゃめちゃありがとう・・を申し上げて、笑顔で別れました。
そのことがそれからの旅にもとても役にたち、結局夫は大抵の場合、
「君が話した方がいいよ。」とホテルなども私が交渉するようになってしまったのです。
日本ではありえないことでした。
つづく
# by akageno-ann | 2008-02-06 17:00 | 番外編 | Comments(14)