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桜と共に

日本は桜が咲くと 人々の表情が急に明るくなる。
じっと耐えた寒さから解放されるように気持ちもやる気が漲ってくるようだ。
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ずっと不器用に生きてきた。

やる気はあっても不器用で・・・少しは真似てできることがあっても更に深めたり継続することが苦手であった。

しかしこのブログをはじめてから、ブログの仲間たちとの交流の中で、自分の頭の中に新しいエネルギーを感じることがあり、なんとかここまで続けてきた。

感謝の思いでいっぱいである。


人生はまだもう少し続きそうで、いろいろなことに直面しそうな気配がする。

小説ブログとしてなんとか続けたこのタイトルへの思いは全く変わらない。

だからこの4月からは 自分の創作する作品や撮り貯めた写真などをアップして「かけがえのない日本」の初老の人間がまた少しバージョンアップして頑張っていけるように・・という心がけでブログを続けて生きたいと思う!

今日はこのエキサイトブログとブログ村で偶然であった かあちゃん、あのねのイラストレーターCHILさんの桜のイラストを頂戴して・・自分へのエールにさせていただきたいと思う!
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2010年のは3人兄弟になってます!
そして昨年の桜の作品は↓
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これからもまたこのブログをよろしくお願いします!

小夏庵のブログはこれまでどおり日常生活をあげていきます・・
小夏庵もよろしく。

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# by akageno-ann | 2010-04-05 09:39 | エッセ- | Trackback | Comments(10)

アンのように その26 終章

小説かけがえのない日本の片隅から

拙い小説を長い間お読みいただきまして本当にありがとうございました。

この小説は今日でひとまず終わります。

現代社会のあまりにも変化の激しい時勢を眺めつつ、「かけがえのない日本」への思いは日々強くなるばかりです。

春は今日東京は桜が満開になった地域が多かったです!
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その桜を眺めながら、日本はまたもっと頑張っていかなくてはならない、と感じました。

老いた母を その桜の花の下で写真を撮りました。

親へ感謝しました。ここまで頑張ってくれた人たち・・戦後の立ち直りは今のお年寄りと言われる年代の人々の努力あってこそ・・だと思いました。

このタイトルでポプラ社の懸賞小説に応募することにして、今新たな小説を書き始めました。

ここまでここに書かせていただいたことがとても大きな経験になりました。
感謝して、また自分なりの努力を続け、日本をかけがえのない国として大切にしていきたい思いを綴ります。

ではこの小説の最終章をここに書かせていただきます。


かけがえのない日本の片隅から
その26 最終章


沙耶は5月1日付けでK出版社の先ごろ経営し始めたケアハウスの受付事務に就職した。

老人の為の施設であるからもっと陰気な雰囲気があるのでは、と思いながら出社した沙耶は、すぐに自分の思い過ごしに気づいた。

確かにデイケアや滞在型のこの施設にお年よりは多かったが、スタッフは思いのほか若い人々がたくさん勤務していた。

皆明るく、謙虚な姿が身についていた。

入社式はK出版全店合同で行われたが その時の社長の訓示は次のようなものだった。

「21世紀は老人社会だと言われています。老人はある意味ですでに自分の時代を終えて、老後を楽しむために人を頼って生きているように思われがちですが、その人々の内在する力を決して侮ってはいけません。こちら側はお世話をする者ですが、接するときに必ず謙虚に教えを請う気持ちを忘れないでください。
お年よりはまだまだ社会に貢献できる力を貯えています。我々はその内在する力を少しでも引き出せるようにお手伝いするだけなのです。」

沙耶は家族の今病気療養中の祖父を思った。

祖父は堀田家の礎を作った人だった。

そう父紘一郎に言われたことがあった。

その言葉が今ふと蘇り、父のいう好奇心が謙虚な心を上回ってはいけない、と今理解できたようだった。

祖父は母 恵子が本当に実の親のように接していることに感謝しているのだろうか?

いや母はそのことでそんな小さな心で過してはいなかった。

沙耶は母恵子が家族の中心になって行動していたことを思った。

施設はそんな家族から離されたお年寄りがたくさん見られた。

まだまだ元気で家庭生活ができそうな人でも 一人では不安だということからこの施設に入った、という人々だった。

若いスタッフたちはまるでその人の家族であるような自然な接し方をしている者が多かった。

沙耶もまたそんな風にここで接していけるスタッフになられるよう願っていた。


                                 この章を終わります

明日からは写真エッセーを綴ります。

# by akageno-ann | 2010-04-04 00:10 | 小説 | Trackback | Comments(4)

アンのように その25

小説を書いています。

かけがえのない日本の片隅から

アンのように  その25 白い花たち

堀田家の長女沙耶は 書籍出版業の事務系の派遣社員の面接を受けていた。

そして5月の半ばに意外な派遣場所が決まった。

それは書籍出版を主に展開する企業が実は老人のためのケアハウスも経営していて、その受付事務を言い渡されたのだ。

その結果を聞いて、沙耶の母親の恵子が驚いた。

「沙耶ちゃん、こういうお話は最初からあったの?」

「ううん・・知らなかったの。でも私 おじいちゃんの病気のことやお母さんが病気から回復したことは話したから、それでかも・・良かったわ・・決まって。」

沙耶の屈託のないその応えに恵子は敢えて感想を述べるたい気持ちを押し留めたが、沙耶の感覚が家族の為になろうという思いが強すぎるような気がしてならなかった。

娘が自分の心と寄り添って生きようとしてくれていることは、とても有り難かったが、まだ二十代前半の彼女に何か重い家族の足かせのようなものを履かせたくはなかったのだ。

だが、沙耶本人の純粋な気持ちを尊いと想わざるを得なかった。

この就職難でどんな職種でも自分の役に立つことをしたい、と言っていた沙耶の健気さは純粋無垢な白い花が凛と咲くようなイメージがあって、感動すると共に、不安にもなった恵子の心があった。

「沙耶ちゃん、頑張るのは素敵なことよ。でもあまり凝り固まらずに、少しでも広い世界をみてね。」

などと、つい抽象的なことを言って終わってしまったことも悔いていた。

しかしどんな職種でもお金を稼ぐということがどれほど大変なことかだけは知らせたかった。

その採用が決まった書店の介護施設はネットで検索した結果 比較的近隣にもあって、有り難いことなのかもしれないと・・も感じていた。

何も知らずに新しい職種に入って行こうとする我が子を もうそこまできたら、何も手伝ってはやれないのだ、と健気な沙耶を案じながら、一抹の寂しさも感じる恵子がいた。

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プラムの花をみつけて・・

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# by akageno-ann | 2010-03-29 00:13 | 小説 | Trackback | Comments(6)

アンのように  その24

小説を書いています。

かけがえのない日本の片隅から

アンのように その24 家族の結束

堀田家の長女である 沙耶は大学卒業後 人材派遣会社に籍を置いて事務系のデスクワークを続けていた。

その間に母恵子の病気入院もあり、沙耶は家事を積極的に手伝う気持ちが強まっていた。

「一家に一人でいいから、家族のことを真剣に考える者がいる家族は救われる。」

沙耶は学生時代に心理学の授業で聞いた一人の准教授の言葉をいつも胸に置いていた。

その一人に自分はなりたい、今まで母恵子がしてきたことを、自分が代わってあげたい。

その思いが強くて 本格的な就職を見合わせていた。

この時代 就職を焦ってどこへでも・・という思いは 沙耶にはなかった。

そのことで友人から 心配されたり揶揄されたりもあったが、こんなときだからこそ、じっくり考えていたいと思ったことが本心だった。

そのために親の脛をかじる状況に身を置くことになるので・・自分の身の回りのものを買うこと位は自力でと考え できうる仕事を探していた。

それは電話番のような仕事ではあったが、礼儀作法がしっかりした者という選考が行われたので 沙耶は緊張して面接に赴いた。

面接した中年の女性社員は 沙耶の母親の看病と これから訪れる同居の祖父の看護はなるべく自分が手伝いたい、という沙耶の意見に注目した。

その根底に流れる芯のある優しさを感じたのだった。

つづく

アンのように  その24_c0155326_7532063.jpg

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# by akageno-ann | 2010-03-23 07:43 | 小説 | Trackback | Comments(8)

アンのように その23 介護という言葉

小説を書いています

かけがえのない日本の片隅から

アンのように その23 介護という言葉

正一郎は入院以来 優しい顔つきになったと同時に 少し記憶の力が弱まっているように感じられた。それを一番に感じたのも嫁の恵子だった。

先日の叔母克子の訪問の際の正一郎の態度は 考えてみるとひどく子どもっぽかった。

そしてニ、三日すると その訪問を忘れているようなところがあって、危惧された。

恵子は夫 紘一郎にもその見解を述べて、大手術をして もしこの父 正一郎が呆けるというようなことがあっては、元も子もない・・ふとそのような思いがこの夫婦の頭を過ぎった。

昔は60歳を還暦といい 子どもに帰る、というような感覚で受け取ったが、間もなく50代半ばの紘一郎は自分も還暦か?と想像してもその子ども帰りの年寄り的な感覚は全くない・・と思われた。

今や日本の平均寿命が80歳を越えようという日本において、お年寄りというのは少なくとも70歳を越えた者にあてはまるのではなかろうか。

「恵子、親父がもしも退院後、呆けてしまうようなことがあれば、それは施設を探すということも考えよう。君が主体になって面倒をみるようなことがずっと続けば、君の方が先に逝ってしまうことにもなりかねない。」

そう真剣に心配する夫を恵子も無視できなかった。

「あなた、ありがとう・・そう言っていただけるだけでも私は頑張れるような気がするの。もう病気になるまで無理はしないから大丈夫よ。」

恵子も素直に応えた。

夫婦は結婚してから20年ほどを越えると、親よりも、いや親のことも自分の子どものことのように客観的に考えることができるようになるものなのか?

だがそうなるには・・この堀田家にとっても 恵子の大病があってやっとこぎつけたことでもある。

長い時間 親との生活をしながら 体得したことだった。

恵子は 夫が我が親を施設に・・などと きっと断腸の思いで語ったと想像していた。

自分の親を自分の手で介護できないのは哀しいことだ・・と

このとき初めて この堀田夫妻は 「介護」の言葉をそれぞれの胸に刻んでいた。

つづく

アンのように その23  介護という言葉_c0155326_132355100.jpg

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# by akageno-ann | 2010-03-18 23:33 | 小説 | Trackback | Comments(3)