最終回に感謝をこめて
1年半にわたって、書かせていただいた小説「アンのように生きる」は私の良い記念になりました。
お読みいただいた皆様に心から感謝を申し上げます。
ブログ村への応援のお陰で何度も現代小説1位にさせていただけたことは、本当に大きな励みになりました。
ありがとうございます。
インドから高知へ舞台は移り、活気ある三十代をデリーで過ごした翔一郎は50半ばで脳卒中による障害者としての生活になりました。
その間にも理子という待望の一人娘が生まれ、インドの仲間たちとの心の交流や成長した平田めい子との新しい繋がりができました。
家族は一つの小さな単位ですが、時と場所を得て、人は様々に繋がり手を携えるということを考えていました。
「赤毛のアン」は孤児だったアン シャーリーがマリラ・マシュー クスバートという兄妹に引き取られて、新しい家族を形成し、幼馴染だったギルバートブライスと結婚して素晴らしい家族を作り出します。
血のつながりだけではなく、偶然や必然によって出会う人々によって家族ができる場合があることを示唆したいと思いました。
この時代に自分たちの個体の家族だけではやりきれない問題が生じてきている。
プライバシーを守りながらも大きな協力体制を作ることは大切なことだと考えます。
では前おきがながくなりましたが、最終回です。
最終章 最終回
夜間フライトになった飛行機は無事に高知龍馬空港を飛び立ち、美沙は心から安堵している。
日本国内の飛行は短いので、離着陸が少々怖い美沙には苦手な乗り物だが、こうして充実した旅の終わったあとのフライトは大変に軽い心がそこにあった。
信子は高齢だが、矍鑠と動いて皆を驚かせ、高知を美しい大好きなふるさとと思いつつも再びここへ戻り、骨を埋めるばしょでないことを今回思い知った。
しかし親戚の若い者たちは翔一郎の帰郷を喜んで迎えると申し出てくれたことは、信子にとって一番の喜びであった。
美沙はおそらく家族の形成を考えてすぐに押し奨めることはしないであろうが、なるべくその気持ちになってもらえるように後押しをしようと決めていた。
勘の良い平田めい子は、理子と共に関東に住んで、美沙と翔一郎は高知で療養生活をするのが良いのではないかと、少し生意気ではあるが・・と考えていた。
一時間ほどのフライトはそんな究極な夢のようなことを異次元の感覚で考えることのできる良い時間だった。
理子は父親と共にもう少し絵を描いていたかった。
やはり一人っ子は両親と兄妹のような感覚でいたのだ。
母と父、この二人とはなれることはまだ無理だと感じていたのだ。
祖母も食事つくりなど頑張ってはくれるが、やはりとても年齢的に年をとっていることをも感じていたのだ。
ただ父親が少しでも仕事として何かできることが高知にあるというのなら、自分は無理に引き止められないとも感じていた。
そう感じている先に姉のようにそこにいるひ平田めい子を思った。
めい子は両親と離れてしっかりと自分の道を歩んでいる。
いつか自立しなければならないのだとしたら、それは間もなくなのだと感じていた。
この短い旅はそれぞれが人生を考えていた。
翔一郎は少しでも自分のできることがある場所であることを何となくであるが感じているようだ。
美沙はこの1年を一つの大きな転機を迎える前の準備段階として進んで行こうと考えた。
病を得て家族の生活はほんの少しそこに停滞していた。
インドで暮らしたことを思えば日本の夫のふるさと高知、デリー時代の友人北川のいる高知をものすごく身近に感じることができたのだ。
やがて飛行機は高度を下げて、羽田空港に向かっている。
東京の夜景は煌びやかで美しい。
その便利さや活発さから果たしてすっかりと離れて暮らすことができるだろうか?
そう自問自答してみたが、答えは「YES」だった。
人生は決して留まらない、必ず躍動して進んでいく。
若い人々のことを一番に考えながら、まだ進歩できる自分たち夫婦のことも考えた。
また高齢の母信子の未来も閉ざしてはならない。
ともに手を携えて、少しでも大きな世界を見つめて生きていこう。
そう、時にはアンのような柔らかな気持ちも持ち続けよう。
そう思いつつ、美沙は翔一郎の背中をしっかりと抱えていた。
完

仁淀川の川原にて・・秋祭りのおなばれ
「小夏庵」も覗いてくださいね。