インド人家庭は大きな冷水扇風機というような、水の力で冷風を送り込む器械を取り付けて暑さを凌ぐが、外国人家庭はどうしてもエアコンを入れざるを得ない。
夜半になっても壁の熱が少しも冷めず、バスタオルをしいていると一晩でぐっしょりと汗を吸う。
平田よう子の家は日本製のエアコンを航空便で持ち込んだので、すぐさま寝室に取り付けて快適な睡眠をとることができた。
「パパ、他の家はどうしてるのかしら?このエアコンもってきてよかったわねえ。」
と、小さな明子(めいこ)のいるこの家庭の用意周到さは功を奏していた。
「1階にすんでいる人は大丈夫らしいけど、片山さんとこは2階だから大変そうだよ。」
「でも彼等は元気だから大丈夫よね。」と、深く考えるのはやめにした。
ここはとにかく、自分のことは自分で守っていくしかないのだ。
よう子は大分ここの少し不衛生な感じの暮らしにも、家庭さえきちんとしていれば、健康が守れると思えるようになってきていた。
無理をしてこの風土に合わせることはない。この家は日本となるべく同じ環境に保つよう努力しよう、と決心していた。
山下家は幸いにもクマールビルダーズという電機商会のようなところから、前年日本人から買い取ったという日本製のエアコンをレンタルすることができたのでほっとしていた。
夫人の文子はしっかりもので、何か買い物やタクシーを使うとき、大工を入れるときでも
「うちは子供が二人いるのだから、優先にしてもらわないと困ります。」と強く出ていた。
美沙は、このようなことで恨まれるようなことになりたくないので、言われるがままに順番をまった。
ここでも言われる、『子供がいないから大丈夫でしょう』・・・の言葉をいたしかたなく受け入れていた。
美沙の家には、所謂インド製の音の大きな しかし、なかなかの威力のあるエアコンが入れられた。
手際のいい、技術者のお陰で2時間ほどで3つのエアコンを入れてもらい、その機械工場のような大きなうるさい音のエアコンではあったが、部屋はすぐに冷やされて、ほっとした。
学校の勤めから帰る夫も喜ぶであろうと、嬉しい日になった。
学校は停電のためにクーラーが効かず、この夏の猛暑は軽く摂氏45度を記録し、息も絶え絶えに授業した様子を聞くだけで夫に感謝の念がわいた。
翔一郎は毎日5時過ぎにスクールバスで帰宅した。
「イヤア・・生き返るなあ・・今日も時間は短かったが停電があって、自家製発電機も容量が小さくて間に合わず、2階の高学年の部屋は暑い中での授業になったよ。でもね、子供の中には夕べ家の方でも停電で殆ど眠れず大変なのに、授業はしっかり聞くんだよ・・感動ものだな・・」
そうなのだ、こんなに大変な場所であっても子供たちはとても真摯に学習していた。
そういう姿をみていると頑張らねばならないと、翔一郎を支える家庭をきちんとしなくてはならないと、美沙は改めて思うのだった。
停電は猛暑になるほどに、電力消費を加減するためらしく、ブロック毎に時間を決めて停電させる。
それは2時間に及ぶこともあり、そういう時は留守宅のメンサーブは停電していない友人宅やホテルに避難するのであった。
つづく
# by akageno-ann | 2007-12-30 20:41 | 小説 | Comments(4)